■「これほど困難な状況は経験したことがない」

 ナセル病院には、3万人以上のパレスチナ人避難民が滞在している。衛生状態は最低限だ。それでも病院には発電機があり、電話やコンピューター端末、カメラなどの機材を充電できる。報道関係者は、これにより仕事を続けることができる。

 テントにマットレスを持ち込んでいる人もいれば、地面にそのまま横になっている人もいる。毛布代わりになるものは何でも利用している。プライバシーを保つため、女性の多くは病院敷地内に駐車した車で睡眠を取っている。

「ナセル病院に拠点を構えて仕事を始めてから2週間がたつ」と語るウィサム・ヤシンさんもそうした女性の一人だ。

 米国のアラビア語テレビ、アルフッラ(Alhurra)で働くヤシンさんは「トイレに行かなくても済むよう、あまり水分を取らない」と話し、「病院の近くにある見ず知らずの家族の家でシャワーを借りた。夜は車で寝ている」と続けた。

 ハンユニスの状況については「爆発は至る所で起きている。撮影を放棄し、生中継を取りやめたことが何度もあった」と振り返る。これまでに何度もイスラエルによるガザへの攻撃を取材してきたが、「これほど困難な状況は経験したことがない」と訴えた。

 また、10月7日の朝に自宅を出てからは一度も家に戻っていないというヤシンさんは、娘のバナ(9)ちゃんからの電話に出ないことがあると話す。「泣き声を聞くと胸が張り裂けそうになるが、娘を落ち着かせる言葉が出てこない」のだとその理由を打ち明けた。

 5年前にスペインからガザに移り住み、スペイン語放送局の特派員として働くホーダ・ヒジャジさん(25)も、病院の中庭に拠点を構えるジャーナリストの一人だ。

 ハンユニスには滞在できる場所が不足しているとの理由で家族をガザ市に残してきたというヒジャジさんは、「このように大規模な戦争を取材するのは初めて」とAFPに述べた。