【記者コラム】息をするたびに──インド・ニューデリー
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【1月14日 AFP】私が育ったのは、大気汚染が世界で最もひどい都市の一つだった。だから大気汚染の季節として有名なインドの首都ニューデリーの冬も、簡単にやり過ごせると思っていた。自分には備えがあると。だが結局、備えなどできる代物ではないことを思い知らされた。

私が子ども時代を過ごしたバングラデシュの首都ダッカでは、大気汚染にどうにか対処していた。外で遊んでいたし、普通に日常生活を送っていた。ニューデリーに移ってくる前は、ここだってそんなに違うことはないと思っていた。だが実際は大きく違っていた。
ここ1か月以上というもの、ある種、屋内という監獄の中にいるかのようだ。外に出れば、目はひりひりし、せきが出始め、息切れがする。幼い子どもたちは特に被害を受けるので、私と妻は5歳と9歳の娘2人をなるべく外に出さないようにしている。
私たちが引っ越して来たのは4か月前で、その3か月後に大気汚染の季節が始まった。以来、私たちは「空気清浄機の国」に住んでいる。私のアパートには4基の空気清浄機がある。私の車にも一つある。職場にも空気清浄機がある。子どもたちの学校には建物の外にまで空気清浄システムがあり、遊び場の隣でぶんぶんと音を立てている。それが幸運なのは、子どもたちが外に出られるのはほぼその時だけだからだ。

ニューデリーの大気汚染の季節は冬の間、約3か月間続く。要因は山ほどある。収穫期の直後で、首都周辺の農民らが残された刈り株を野焼きするのが一因だ。


またニューデリーには膨大な数の車があふれており、その多くはディーゼル車だ。

私が一番心配なのは、自分の子どもたちだ。最も危険にさらされているのは子どもで、こんな状況ではぜんそくになりかねない。だから子どもはほとんど家に閉じこめられている。私たちは大気汚染レベルを注意深く監視しており、少しでも空気がきれいなときは、子どもたちを公園に連れて行く。だがほとんどの場合、子どもたちはアパートの中にこもりきりとなる。
そうすればどうなるかというともちろん、テレビや「iPad(アイパッド)」の画面に行きつく。そうした物を子どもたちに与えたくはないが、ある点から先はもう選択肢がない。スクリーンを見ている時間を取るか、健康被害にさらすかのどちらかだ。子どもたちだってつらい。どの子もそうであるように、うちの子たちも外に出たがっている。不満を募らせているのは見れば分かる。
幸いなことに、子どもたちの学校はこの問題についてとてもよくやっている。大気汚染というものがあって、それは危険となり得ること、外出時にはマスクを着けなければならないことなどを子どもたちに理解させている。学校内には大気汚染計がある。緑色は問題なし、黄色から赤にかけて危険度が増し、紫は最悪を意味する。娘のうち一人は紫色が好きなので、彼女にとってはがっかりだ。

そして今年、学校は屋外用の頑丈な業務用空気清浄システムを校庭に設置した。これで少なくとも子どもたちは外に出て遊ぶことができる。このシステムはなかなかのものだ。長さ2~2.5メートル、高さ約1.8メートルの大きなパイプが、遊び場の四隅に設置された。地面から高さ3メートルまでの空気を浄化できるとされている。その空間一帯を包む、目に見えないきれいな空気の覆いのようなものだ。
妻もかなり大変な目に遭っている。彼女は勤めておらず、前に米国に住んでいたときは毎日、子どもが学校や託児所にいる間に用事を済ませていた。普通なら、引っ越した最初の何か月間か、妻は街を探索し、必要な物を購入するのに最良の店や、学校以外で子どもたちを連れて行く場所を開拓する。だが今回はそれができていない。代わりに妻はたくさん読書をした。

われわれ全員にとって困難な状況だ。新しい国に来れば、当然、探索したいと思う。外国にいる非常に良いことの一つは、新たな場所、新たな文化を探究することだ。だが私たちは代わりに自宅軟禁下に置かれ、冬が終わり、汚染の霧が晴れるのを待っている。
家族の中で、屋外で過ごす時間が一番長いのは私だ。そうしなければならないのは、写真を撮るのが私の仕事だからで、写真を撮るには外に行かねばならない。顔にマスクを着けるのは嫌だ。マスクを着けると、息ができないように感じる。おかしく聞こえるかもしれないが、実際そうなのだ。
だから私は災害取材のときと同じように対処することにした。現場へ行き、仕事をして、処理する。災害時の心構えにスイッチを切り替えるのだ。
ある日のこと、私は大気汚染が見て分かる写真を撮ろうと思い、辺りを1、2時間歩き回って撮影場所を探していた。歩き回っているときには特に何も感じなかったが、支局に戻ったときに頭痛がし、せきが出始め、息が切れてめまいがした。

驚かされるのは、地元の人々の態度だ。みんな、淡々と日常生活をこなしている。ジョギングをする人や、クリケットをする人たちもいた。彼らはこの環境で育ってきたので、まるで何事もないかのように日常生活を送っている。マスクをしている人もいるが、ほとんどの人はしていない。これが現実なので、それに対処するだけ。私が尋ねれば、彼らはそう答えるのだ。


彼らの言うことは理解できる。ダッカにいた子どものころ、たとえ大気汚染がひどいときでも、家の中に閉じこもっていた記憶はない。本当のことを言うと、大気汚染さえも覚えていない。確かに汚染はあったのだろうが、覚えていないのだ。私は今から20年近く前、22歳のときに国を出て、アジアの数か国に住んだ後、米国に定住した。米国で11年暮らしている間に子どもたちが生まれた。ニューデリーの大気汚染も、ダッカと同じように簡単に対処できると思っていた。だがそうではなかった。おそらく米国の暮らしが私を軟弱にしたのだろう。分かっているのは、冬が終わり、再び外に出て新たな地元を探索し始めるのが、私たちには待ち遠しいということだけだ。
このコラムは、インド・ニューデリーを拠点とするAFP東南アジア写真部門主任ジュエル・サマド(Jewel Samad)が、AFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者と共同で執筆し、2019年12月9日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

