■初日のミサイル攻撃は「悪魔のディスコ」

 ボルナ氏は、欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)の加盟国エストニアで居住許可を確保した上でボランティア活動の許可も受け、昨年9月に初めてキーウ入りした。

 ウクライナ国境に入って数時間後、軍の葬送を目撃した。自分の国が「あの若者を殺した」のだと涙ながらに話した。

 早くもその夜、キーウ市街に空襲警報が響き渡った。ロシア軍が連射したミサイルによる爆音と閃光(せんこう)は「悪魔のディスコ」のようだった。「キーウでの初日の夜から、ここでのこの戦争を理解した。ロシア人が教えてくれた」

 ウクライナ侵攻が始まるずっと前から、ボルナ氏はプーチン政権に反発していた。2014年のクリミア(Crimea)併合に公に反対したため、勤務先の医院での仕事を辞めるよう圧力をかけられた。

 ボルナ氏は、反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ(Alexei Navalny)氏の支持者ではないが、2020年に神経剤ノビチョクによる同氏の毒殺未遂が起きた際にはその立証を手伝った。また、収監された同氏がハンガーストライキを始めた際には、その健康を懸念する医療関係者の大合唱に加わった。

 最終的にモスクワを離れる決断をしたのは、司法当局や治安当局とつながりを持つ患者らから、当局が戦争批判を禁止する新法に基づいて自分を起訴する準備をしているとの情報を得たからだ。