■カンボジア

 隣国カンボジアへの爆撃は、クメールルージュ(Khmer Rouge)とも呼ばれたポル・ポト(Pol Pot)元首相率いる政治勢力の台頭を促した。ポル・ポト政権下の1975~79年には、飢餓や拷問、強制労働、大量処刑などにより国民200万人が亡くなった。

 フン・セン(Hun Sen)前首相は長年、キッシンジャー氏を戦争犯罪者として裁判にかけるよう訴えていた。

 同国の地方部には今も不発弾が残っており、過去40年で2万人が死亡したと推定されている。

 カンボジア地雷対策センター(Cambodian Mine Action Centre)のヘン・ラタナ(Heng Ratana)長官はAFPに対し、カンボジアに爆撃し、すべてを破壊した決定を下したのがキッシンジャー氏の「真のレガシー」だと指摘した。

 サム・エンさん(60)は2014年、クラチエ(Kratie)州の自宅付近のクラスター弾を除去しようとして失明し、両腕も動かせなくなった。今は娘に世話をしてもらっている。

 キッシンジャー氏については「前は怒りを感じていたが、亡くなった今となっては、仏教徒として許す」と話した。

■ベトナム

 ベトナムでは、米中の接近が東南アジアにおける中国の影響力拡大への道を開いたとの見方もあり、国交樹立に大きな役割を果たしたキッシンジャー氏の評価は割れている。

 1973年1月、フランス・パリで和平協定締結にこぎ着け、戦争を終結させた。貢献が認められノーベル平和賞(Nobel Peace Prize)を受賞したが、論議を呼んだ。同じく停戦に向け尽力した北ベトナムのレ・ドク・ト(Le Duc Tho)氏は、受賞を辞退した。

 和平交渉で北ベトナム側の通訳を務めたファン・ガック(68)さんは、キッシンジャー氏は「傑出した」外交官だと評する。「米国の利益については最も説得力のある外交官だった」とAFPに語った。

 キッシンジャー氏の死去に際し、AFPはベトナム、カンボジア両政府にコメントを求めたが、返事はなかった。

「ベトナム人に多くの苦しみをもたらすことに加担した人物だった」と話すのは1965~73年に、北ベトナムの空軍に所属したトラン・クイ・トゥエンさん(78)だ。「何年も前に死んでいるべきだったと言うベトナム人も多いだろう」 (c)AFP/Rose TROUP BUCHANAN