【11月30日 AFP】29日に死去したヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger)氏は、リチャード・ニクソン(Richard Nixon)、ジェラルド・フォード(Gerald Ford)両政権時代に大統領補佐官(国家安全保障担当)、国務長官を相次いで務め、長きにわたって米外交に関与してきた。多くの実績を残す半面、論争の種をまいたことも少なくなかった。国・地域別に振り返る。

■中国

 1971年7月、秘密裏に北京入り。国交正常化を目指し、ニクソン電撃訪中のおぜん立てをした。ニクソン大統領は東西冷戦(Cold War)の緊張緩和(デタント)、ベトナム戦争の終結を探っていた。

 米国は孤立していた中国に世界への扉を開かせ、やがて世界の製造拠点へと発展し、米国に次ぐ第2位の経済大国へと成長するのを後押しした形となった。

 キッシンジャー氏は公務から退いた後、対中ビジネスを行う企業を相手にコンサルタント業務を始め、財を成した。対中強硬姿勢には異を唱えた。

 100歳となった数か月後の今年7月、中国を訪問。習近平(Xi Jinping)国家主席ら幹部と会談した。最後の訪中となった。

■ベトナム

 ニクソン大統領は泥沼化していたベトナム戦争(Vietnam War)の「名誉ある」終結を模索。キッシンジャー氏は国務長官として、北ベトナムへの補給ルートを断つべく、カンボジアとラオスへの爆撃を秘密裏に指示。数十万人の市民が犠牲になったと推定する歴史家もいる。

 1973年1月、パリで和平協定締結にこぎ着け、戦争を終結させた。貢献が認められノーベル平和賞(Nobel Peace Prize)を受賞したが、論議を呼んだ。同じく停戦に向け尽力した北ベトナムのレ・ドク・ト(Le Duc Tho)氏は、受賞を辞退した。

 約2年後、サイゴンが陥落し、南ベトナム政府は崩壊した。キッシンジャー氏は和平協定締結後、米軍が被った損害が露呈するのを最小限にとどめるため、「適当な間隔」を確保することに腐心していたと考えられている。