【10月22日 AFP】赤茶色に髪を染め、ダチョウの羽飾りを頭に着けたマサイ(Maasai)の若者たちが、笑顔でセルフィー(自撮り写真)撮影にいそしんでいる。若い戦士から大人になるための通過儀礼、ユーノート(Eunoto)の初日を終えたところだった。

 裸の胸につないだ真珠を着け、サングラスを掛けた医学生のヒラリー・オドゥポイさん(22)は「今日から大人だ」と誇らしげに言った。

 ケニア南西部の村ネイラーリ(Nailare)に18~26歳の数百人が集まった。マサイ語で「戦士」を意味する「モラン」の同世代だ。多くは実家を離れ、首都ナイロビやキシイ(Kisii)といった大都市、あるいはオドゥポイさんのように車で7時間以上かかるマチャコス(Machakos)の町で働いたり勉強したりしている。

「人生最大の儀式の一つ。これほど大勢で集まることはない。マサイのコミュニティーが一つになるときだ」とオドゥポイさんは言う。全員がマサイで神聖な色とされる赤を身に着けている。若者に加えて家族や地元住民、役人など総勢数千人の規模だ。

 5日間に及ぶユーノートの儀式では、詠唱や片足で一列に並ぶ踊り、また有名なジャンプダンス「アドゥム」などの伝統芸能が披露される。若者たちは母親の手で毛髪をそられ、いけにえの牛の血を飲み、戦士の剣を捨て「長老」のつえである「フィンボ」を手にする。

■変化と適応

 マサイの男性の通過儀礼は三つある。少年から戦士になるときのエンキパータ(Enkipaata)、戦士から「若き長老」になるときのユーノート、本格的な長老となるときのオルンゲシェー(Olng’esherr)だ。これらは2018年に国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)の無形文化遺産に登録された。

 元はケニア南西部からタンザニア北部にかけて住む半遊牧民だったマサイの伝統は、現代生活による変化と適応を迫られている。

 モランはかつて「エマンヤッタ」と呼ばれる隔離された村で2年間を過ごした。今は学校の休みに集まり、マサイの歴史や伝統、社会生活のルールを学ぶ。

 長老の一人、オレリナ・カリアさん(52)は「責任ある市民、社会の一員としてのあり方を教えてる」と説明する。「だが、ライオン狩りや女子の割礼など、マサイ社会の存続にとって最善ではないすべての伝統、特に法律と衝突するようなものはやめるよう教えている」