■無実の人々

 刑務所当局はブーヤさんが執行した死刑を26回としているが、本人は60回の死刑に携わったと話す。

 1975年にクーデターを企て、建国の指導者でシェイク・ハシナ・ワゼド(Sheikh Hasina Wajed)現首相の父を殺害した軍人の処刑もブーヤさんが手掛けた。

 2007年には全国的な爆破作戦を展開したイスラム過激派組織「ジャマートゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(JMB)」の指導者を絞首刑に処した。

 1971年の独立戦争時の戦争犯罪で有罪判決を受けた6人の野党指導者も処刑した。

 一方、少なくとも3人の死刑囚は無実だったとブーヤさんは信じている。

 ある性的暴行殺人事件では、死刑囚の刑が執行された後に、加害者2人がその男性をわなにはめたこと認めた。

 別の受刑者は絞首刑の前に唯一の望みとして、事件については何も知らなかったことを自分の母親に伝えてほしいと他の受刑者に託したという。

 だが、その男性に対する良心の呵責(かしゃく)や後悔の念はブーヤ氏には見られない。「たとえ申し訳なく思ったとしても、彼を生かしておけたのか、救えるのか?」「私がやらなければ、他の誰かがその仕事をやっていただろう」

■暗闇で眠れない

 釈放され、死刑執行人からも引退して以来、首都ダッカ郊外の下位中流層が住む地域にワンルームの質素な家を借りている。

 訪問者があると、多くの受刑者が命を落とした縄の切れ端を誇らしげに見せる。

「縄には特別な力があると信じられている」。縄を手首に巻いたり、繊維を護符したりする人もいると言った。

 だが、どうしても慣れないこともある。刑務所では少なくとも20人以上がいる雑居房に、常に電気がついていた。夜中にふと目を覚ましても、すぐそばで話したり、トランプをしたりしている他の受刑者たちがいた。

 今は暗闇では眠れないので、薄明かりをつけている。

 刑務所でマルクス主義を捨てたブーヤさんは今では敬虔(けいけん)なイスラム教徒で、サウジアラビアにある聖地メッカ(Mecca)への巡礼を夢見ている。

「私の願いはただ一つ、死ぬまでにウムラ(メッカへの小巡礼)を行うこと。あとはアラーのみ心のままに」 (c)AFP/Mohammad MAZED and Shafiqul ALAM