【10月7日 AFP】エチオピア伝統のキャバレー文化を象徴するナイトクラブ「フェンディカ(Fendika)」は、取り壊される寸前だった。

 首都アディスアベバがジャズに熱狂した時代をほうふつとさせるカザンチス(Kazanchis)地区には20年前、「アズマリ・ベット」と呼ばれる店が17軒あった。伝統的な弦楽器マシンコを弾きながら即興で歌う吟遊詩人「アズマリ」のライブ演奏がある店のことだ。だが今はもう、フェンディカしか残っていないと、オーナー兼ディレクターのメラク・ベレイさん(43)は言う。

 アズマリの歌は比喩や掛け言葉に富み、目の前の聴衆や世相、さらには権力を持つエリートをユーモラスに笑いものにする。

 国際的に有名なダンサー兼振付師のメラクさんは、2008年にフェンディカを引き継ぎ、文化の発信地へと成長させてきた。

 どこにでもありそうな入り口をくぐると、古い壁いっぱいに色あせたポスターが貼ってある。店内は熱気に包まれ、地元客から外国人観光客まで、ビールやエチオピアのハチミツ酒「テジ」を片手に演奏を楽しんでいた。

■民族文化の結集

 常連だというアディスアベバ在住の米国人研究者ルアナ・デボーストさんはこのクラブについて、エチオピアとそのモザイクのような民族的伝統について学ぶことのできる「比類のない場所」だと言う。

 この日のメインバンドは、メラクさんが2009年に結成したエチオカラー(Ethiocolor)だった。さまざまな世代や地域のダンサーやミュージシャンで構成されるエチオカラーは、伝統と現代性の架け橋となるだけでなく、80を超えるエチオピアの民族文化の結集も目指している。

 学校を中退し、ホームレス暮らしをしていたメラクさんは、フェンディカの客からもらうチップで生計を立てていたが、当時のオーナーが店内で寝ることを許してくれた。「それからは夜はステージに出演しながら高校を卒業した。それが私の始まりだ」とAFPに語った。

 現在オーナーとなったメラクさんは、従業員にもステージに立つことを勧めている。エチオカラーのドラマー、メセル・アベバエウさん(32)も16年前はフェンディカで給仕をしていた。「ダンスとドラムを学び、サウンドエンジニアになった。この店のおかげで世界中を旅した」と話す。

 別のメンバー、エマベト・ウォルデツァディクさん(30)は「掃除係から始めて、レジ係、給仕係もやった。人生自体が変わった。エチオピアのダンサーとして自分の文化を紹介し、保存する責任がある」と語った。