【6月13日 東方新報】中国とロシアに挟まれた中央アジア諸国の若者たちの関心は、中国に移っているという。この地域ではロシア語が公用語になっており、ウクライナ情勢などロシアの国内情勢が伝わりやすい。将来を見越して、ビジネスや留学先として中国を選ぶ若者が増えているというのだ。

 中国・陝西省(Shanaxi)西安市(Xi’an)にある西北大学(Northwest University)3年生のキルギス人留学生ジンジンさんもその一人だ。本名がロシア語で「金色の月」の意味だったことから、中国名を「金金(ジンジン、Jin Jin)」にしたという。

 九つ上の姉が中国語を学んでいたことから、自然に中国に関心を持った。「他の国の商品を注文すると、キルギスに届くのに1~2週間はかかるのに、中国からだと2日で届く。本当に近いですよね」とジンジンさん。

 キルギスは1991年にソ連から独立した人口約670万人の国。かつて輸入品といえばロシア製だったが、今では中国製品であふれている。

 しかし、ジンジンさんにとっての中国は神秘の国だった。「歴史の授業で万里の長城(Great Wall of China)が世界七不思議の一つだと教わったぐらいですね。あと、ジャッキー・チェン(Jackie Chan)の映画を見て、中国人は皆カンフーの達人だと信じていました」

 中国生活も4年目。大学生活では、勉強熱心な中国人の同級生たちに驚かされたという。西安市は中国が提唱する巨大経済圏「一帯一路(Belt and Road)」の拠点。鉄道駅などでは自国の蜂蜜、お菓子、小麦粉、食用油などを販売する中央アジア諸国の若者たちもいる。こうした状況にジンジンさんは触発されているようだ。

「中国生活1年目はホームシックになっていましたが、今では帰国したくなくなりました。このまま大学院に進み、国際貿易を学びたい。将来、キルギスに帰国しても中国企業で働けたらいいと思うようになりました」

 趣味はコスプレ。授業のない日は、中国の伝統衣装のコスプレをして古都・西安を巡っているとか。「西安は国際都市であると同時に、1000年の古都です。街中に文化遺産があって楽しい」

 西安は、唐の時代には「長安」と呼ばれた古都。欧州まで絹を運ぶシルクロードの起点として、世界中の人びとでにぎわう国際都市だったといわれる。少数だが日本人もいたはずだ。

 ちなみに、ジンジンさんが学ぶ西北大学の歴史博物館には8世紀の遣唐使のものとみられる墓碑が収蔵されている。遣唐使とは、日本の飛鳥時代から奈良時代、630年から894年に停止されるまで、日本から唐に派遣された使節のことだ。

 その墓碑には「姓井、字真成。国号日本(姓は井、名前は真成。日本出身)」などと刻まれていた。中国名は井真成。日本名は分かっていないが、学業に励む姿が評価され、朝廷から官位を贈られていた。きっとジンジンさんのような中央アジアの留学生とも机を並べて語り合っていたに違いない。(c)東方新報/AFPBB News