■数百人を「洗脳」

 コミューンの生活環境を問題視する声が上がった。これを受けて1978年11月17日、レオ・ライアン(Leo Ryan)下院議員率いる一行が調査のため、ジョーンズタウンを訪れた。

 翌日、飛行機で帰国しようとしていたライアン議員は、ジョーンズの部下に銃撃されて死亡した。この時、帰国を希望した信者と3人のジャーナリストも殺害されている。

 ジョーンズは以前から説教で、米政府に攻撃されると警告し、信者に服毒の予行演習をさせていた。ライアン議員に関しては米中央情報局(CIA)のスパイであり、海兵隊が攻撃の準備をしているとも告げていた。

 ジョーンズの遺体のそばで録音テープが見つかった。45分間の録音内容から、ジョーンズが「革命的な行為」だとして信者を自殺に追いやったことが後に明らかになった。

「一人の男がなぜ、どのようにして何百人も、あのように洗脳できたのか。いまだに不思議に思う」とデュークさんは言う。

 事件発生から今年の11月で45年となる。生い茂る草木の中に立つ「ジョーンズタウン虐殺の犠牲者を悼んで」と書かれた白い板だけが、ここで起きたことを物語っている。(c)AFP/Patrick FORT