「人類にとって偉大な飛躍」アポロ11号月面着陸50年(パート2)地球へ
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■地球への帰還
月を出発する直前、宇宙飛行士らはちりまみれになっていた。アームストロング氏は「私の感覚では、暖炉の湿った灰のような臭いがした」と操縦席での印象を説明している。
3人目の宇宙飛行士、マイケル・コリンズ(Michael Collins)氏は、22時間、軌道上で待機していた。
コリンズ氏は後に、「私がひそかに恐れていたのは、2人を月に残したまま1人で地球に帰還する事態が起きることだった」と記しており、ミッション開始の半年ほど前から心配していたことを打ち明けている。
幸いにも、月着陸船のエンジンは正常に作動した。司令船コロンビア(Columbia)と再ドッキングを果たし、3人は長い帰途に就いた。
ミッションが終わりに近づくと、コロンビアは余分な着陸船や機械船、燃料を切り離し、総重量はわずか5550キロほどになった。これはフル装備のサターンV(Saturn V)ロケットの打ち上げ重量の0.2%に相当する。
7月24日、コロンビアは大気圏に突入。しばらくの間、空中で火の玉になった後、三つのパラシュートが開き、無事に太平洋に着水した。
米国はコロンビアと宇宙飛行士らを回収するために航空母艦を派遣した。この船にはリチャード・ニクソン(Richard Nixon)大統領(当時)も乗船していた。
月への旅を終えた3人を空母に運ぶため、精鋭のダイバーチームがコロンビアへと向かった。宇宙飛行士らは全員無事だったが周囲には不快なにおいが漂っていたという。
当時、宇宙飛行士らが地球外微生物で汚染されているとの懸念があったため、3人はすぐに隔離施設に収容された。
そして3週間後、帰還後初の記者会見が開かれた。すでに世界的なヒーローとなっていた3人に対してもう一度月に行きたいかとの質問も投げかけられたが、結果的に誰一人として宇宙に戻ることはなかった。
11号以降、さらに6回のミッションが行われた。そして1972年、アポロ計画は終了した。
米国が再び月を目指す決定を下したのは、ドナルド・トランプ(Donald Trump)政権が発足してからだ。「アルテミス(Artemis)」計画という新たな有人月面着陸計画の名称は、ギリシャ神話の神アポロ(Apollo)の双子の妹にちなんでいる。(c)AFP/Ivan Couronne