■矛盾のつけは移民労働者へ

 移民労働者たちに近づくのは簡単だが、話し掛けようとすると、そうはいかない。もっともなことだが、見知らぬ人に話し掛けられることを彼らは恐れている。相手がジャーナリストなら、なおさらだ。

 ここに現在のカタールの矛盾がみえる。移民労働者たちはどんな扱いを受けても、どんなにひどい低賃金でも(無給のことさえある)、彼らのために多くの人々が闘うと言ってくれたとしても、公にはほとんど口を開かない。幾万という移民労働者たちにとって、カタールで仕事を続けることが祖国の家族を支えることができる唯一の道だからである。

 彼ら移民労働者の存在は、カタールの日常の多くを物語る。この国に住む200万人超のうち約90%は外国人。湾岸の新しい黄金郷を建設するために、世界60か国以上からやって来た人々だ。統計的にいえば、街でカタール人に会う確率よりも、インド人に会う確率のほうが2倍高い。女性よりも男性に会う確率が3倍。移民の大半は男性の労働者で、カタール人口は男性75%に対し、女性25%という不均衡なものになっている。

■「シムシティ」を思わせるドーハ

 カタールの現地の人々と私の交流の大半は、公式なルートを通じたものだ。世界のどこでもそうであるように、フレンドリーな人がいたり、容姿が美しい人がいたり、失礼な人がいたり、家族思いの人がいたりと、みんなさまざまだ。多くの人が保守的だが、服装にかなり気を使い、香水もつける。運転が荒い人は多い。肥満の人もいて、他の新興富裕国と同様、この国でも肥満は社会問題になりつつある。

 夏の酷暑は、国際サッカー連盟(FIFA)の面々と同様、地元の人も多くが嫌っているようだ。オーディション番組『Xファクター(X-Factor)』や『アラブズ・ゴット・タレント(Arabs Got Talent)』が人気で大勢が見ている。そして世界の人々と同じように、カタール人もスマートフォンに夢中になっている。

 欧米人の目には不快に映るかもしれないが、カタールでは出身国によって仕事が決まる。建設現場で働くのは、たいていネパール人、バングラデシュ人、インド人だ。家事手伝いはフィリピン人。欧米人はホワイトカラーの職種に就き、タクシーの運転手はケニア人かインド南西部ケララ(Kerala)州の出身者のどちらかだ。こうした境界は動かない。例外はカタール最大の50万人以上を誇るインド人コミュニティーで、中間所得層が急増している。

 とはいえ、この保守的なイスラム国における社会的境界も、外から見えるほど不変ではない。私は先日、経済的に完全に独立しているカタール人の女性から昼食に招待された。西欧人の私としては、どう振る舞うべきか見当がつかず気をもんだが、ふたを開ければ、美味しい食事と楽しい会話の一時となった。

 ここでは、いいことも悪いことも、多くのことが起きている。カタールに魅了されないようにするには、意識的に努力しないと無理だ。時々、自分は無限の都市開発シミュレーション・ゲーム「シムシティ(SimCity)」の中に生きているような気分になる。ここに支局を開いてみるといい。

(c)AFP/David Harding

この記事は、AFPドーハ支局のデビッド・ハーディング記者が書いたコラムを翻訳したものです。