【4月11日 東方新報】上野動物園(Ueno Zoo)から昨年2月中国に帰った雌のジャイアントパンダ香香(シャンシャン、Xiangxiang)は今、四川省(Sichuan)雅安市(Yaan)の中国ジャイアントパンダ保護研究センターで暮らしている。

 日本で大人気だったシャンシャンと日本のファンとのオンラインでの再会が、東京で9日に実現した。

 シャンシャンの飼育係の趙(Zhao)さんの話によると、シャンシャンは今では、雅安の環境や気候、保護研究センターの給餌管理システムに適応しているが、帰国当初はかなりのストレス反応を示し、周囲を心配させたという。

「しばらくしてシャンシャンはリンゴが好きだと分かって、リンゴを与える時間と回数を増やしました。お互いの信頼を築くために、私はパンダの囲いの中で彼女とコミュニケーションをとり、彼女が私の声や匂いに慣れるようにしました。当初シャンシャンは臆病で、音に敏感で、少し聞き慣れない音がすると逃げていました。今では、人に見られる餌台で落ち着いて食事ができるようになりました。以前は食事の後は人目のつかない隠れた場所で休んでいましたが、今では人目につく比較的安全な場所で休むようになりました」、趙さんはこれまでのいきさつをこのように語った。

 中国公共外交協会の呉海竜(Wu Hailong)会長は「中日両国の各界の皆さまのお世話と保護をいただいて、シャンシャンは健やかに成長し、日本の人びとからずっと愛されてきました。シャンシャンは日本にいる他のパンダと共に、日本の皆さまに笑いと喜びを与え、忘れられない美しい思い出を残してきました。また、中日両国の国民の友好の気持ちを高め、両国の友好の絆となる独自の貢献をしました。シャンシャンが帰国してからも多くの日本の人びとが彼女を恋しがっています。そこでこの度シャンシャンと日本の皆さまとをつなぐオンライン・ミーティングを企画して、彼女の中国での姿と生活をもう一度見ていただくことにしました」とあいさつした。

 また「日本の人びとが中国に来てシャンシャンやその仲間を訪ねることを歓迎します。彼らが中日両国民にさらなる喜びと友情をもたらし続けることを願っています」と付け加えた。

「中国のジャイアントパンダ、康康(カンカン、Kang Kang)と蘭蘭(ランラン、Lan Lan)が1972年初めて日本の地を踏み、上野動物園で暮らすようになりました。パンダフィーバーが巻き起こり、日中国交正常化の象徴的な出来事の一つでした。上野動物園の長い歴史の中で、最も人気のあるアトラクションはいつもパンダでした。そして17年にはシャンシャンが誕生し、その成長とともに数多くの来園者を魅了し続けました。彼女のおかげで18年の上野動物園の入園者数は200万人を超えました」、上野動物園の福田豊(Yutaka Fukuda)園長はこのように回想する。

 福田園長は「シャンシャンは上野動物園で5年半暮らしました。この間、私たちはジャイアントパンダに関する多くの知識と経験を蓄積しました。昨年、彼女は母親になる準備のため中国に帰国しましたが、雅安のパンダ基地のスタッフがとてもよく面倒を見てくれて、すぐに現地の生活に慣れて、昨年10月には再び一般公開されたと聞いています。香香の誕生、成長、そして中国への帰国には大きな意味があります。21年にはまた2頭の子パンダが誕生しましたが、園は中国のジャイアントパンダ保護研究センターとの協力をさらに深め、パンダの保護と日中友好関係の発展に貢献していくつもりです」と語った。

「『パンダ協力』は常に中日両国の人的交流の重要なプラットフォームであり、中日友好を促進する多くの素晴らしい物語を残してきました。パンダのイメージは穏やかで優しく、中国文化を象徴する博愛、親切、信頼、調和を表しています。パンダを大切にする中日両国民は、平和的に共存し、世代を超えて友好的で、相互に協力し、共に発展していくべきです。愛らしいパンダを通じて、両国の人びとが良好な関係を築き、中日友好交流と協力に参加し、中日関係の健全で安定した発展に貢献することを期待しています。この機会に、より多くの日本の人びとが時間を見つけて中国、特に四川省を訪れ、帰国後のシャンシャンの生活の様子を気にかけ、パンダを通じた中日両国の友好関係の新たな物語を書き続けることを歓迎します」、駐日中国大使館の呉江浩(Wu Jianghao)大使はこのようにあいさつした。(c)東方新報/AFPBB News