【4月14日 Xinhua News】中国の浙江省江山市から福建省浦城県に至る仙霞古道は、かつての官道の一つで、遣唐使の一員として入唐した空海も長安へ向かう途中にこの道を通った。

 空海は804年、乗っていた遣唐使船が嵐に遭い、現在の福建省寧徳市霞浦(かほ)県に漂着。福建から仙霞古道沿いに楓嶺関(福建・浙江省境の要衝)経て、都の長安に上った。仙霞古道は「空海の道」として知られ、楓嶺関には日本の真言宗信徒が建立した空海閣と空海像がある。

 仙霞古道が整備されたのは唐代で、全長は約120キロ。浙江・江西・福建3省の境をなす仙霞嶺を南北に貫くことから名が付いた。かつては浙江・福建両省を結ぶ交通の要路、中原へ勢力を伸ばすための重要ルート、兵家必争の地であり、海のシルクロードと内陸水系をつなぐ交易と文化の道でもあった。現在は大部分の道幅が拡張され、アスファルト舗装されているが、仙霞関から楓嶺関の区間は往時の姿をとどめている。楓嶺関は仙霞嶺の支脈、浮蓋山の麓にあり、要害としての重要性から「閩浙(びんせつ)の喉」(閩は福建省の略称)と呼ばれる。(c)Xinhua News/AFPBB News