【1月18日 AFP】第2次世界大戦(World War II)中にナチス・ドイツ(Nazi)がポーランドの首都ワルシャワに設けたユダヤ人隔離居住区「ワルシャワ・ゲットー(Warsaw Ghetto)」を撮影した写真23枚が17日、ドイツからポーランドの博物館に引き渡された。

 独ベルリンのベルビュー宮殿(大統領官邸、Bellevue Palace)で行われた式典に出席したフランクワルター・シュタインマイヤー(Frank-Walter Steinmeier)大統領は、「あの時代の歴史と真に折り合うことはおそらくできないが、写真に切り取られた物語を記憶にとどめることはできるし、そうしなければならない」と語った。

 写真は1941年にワルシャワの軍病院に赴任した、当時50歳のドイツ人看護師ヘルミー・シュペートマンさんが撮影したもの。後に、古いアルバムのカバーに挟まれていたのを、めいのインゲレーネ・ローデワルト(Ingelene Rodewald)さんが発見し、ポーランド・ユダヤ人歴史博物館(POLIN)への譲渡を決めた。

 現在102歳のローデワルトさんは昨年6月、シュタインマイヤー大統領と会見した際、写真を披露していた。

 ポーランドのアウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所の生存者で、国際アウシュビッツ委員会(International Auschwitz Committee)のマリアン・トゥルスキ(Marian Turski)会長(97歳)はこの日の式典で、写真の提供を受け、シュタインマイヤー氏に謝意を伝えた。

 白黒写真に捉えられている街頭の風景には異なる季節のものがあり、シュペートマンさんが何度もワルシャワ・ゲットーを訪れていたことがうかがえる。手押し車で運ばれる遺体が写っている写真もある。

 シュタインマイヤー氏は「彼女がなぜ撮影したのか、何を考えていたのか、意識的に恐怖の目撃者になろうとしたのか、それは分からない。誰にも打ち明けることなく、亡くなるまで隠とん生活を送った」と話した。

 ナチスは1939年のポーランド侵攻の翌年、ワルシャワ・ゲットーを設置。3平方キロ強の区画にユダヤ人約45万人を隔離した。第2次大戦中では最大のゲットーだった。

 飢えや病気のためそこで亡くなった人も多く、残りの住人のうち大半はワルシャワ郊外のトレブリンカ(Treblinka)強制収容所へ移送された。

 ワルシャワ・ゲットーでは1943年4月19日、ナチスに対する蜂起も起きた。シュタインマイヤー氏は昨年、蜂起から80年の記念式典で独大統領として初めて演説し、ドイツ人が犯した罪に対する許しを求めた。(c)AFP