【12月28日 AFP】パレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)北部に住んでいたイマン・マスリさん(28)は、徒歩でたどり着いた南部の病院で四つ子を出産した後、疲れ切っていた。

 10月7日にガザを実効支配するイスラム組織ハマス(Hamas)がイスラエルに奇襲を仕掛け、イスラエルが報復攻撃を開始した数日後、マスリさんは身重の体で北部ベイトハヌン(Beit Hanun)の自宅から3人の子どもを連れ、徒歩で避難を始めた。

 まず同じ北部にあるジャバリア(Jabalia)難民キャンプまで5キロ歩き、さらに南に位置する中部デイルアルバラ(Deir al-Balah)へ行く移動手段を探した。

 妊娠6か月だったマスリさんは「あまりに遠すぎた」「妊娠・出産に影響した」とAFPに語った。

 マスリさんは今月18日、中部ヌセイラット(Nuseirat)難民キャンプの病院で、帝王切開によって娘のティアちゃんとリンちゃん、息子のヤセル君とムハンマド君の四つ子を出産した。

 だがその直後、紛争による負傷者のベッドを確保するため、生まれたばかりの子どもたちを連れて病院を出るように言われた。

 現在はムハンマド君以外の3人とともに、親族50人が身を寄せるデイルアルバラの学校の教室で生活している。

 ムハンマド君だけは「体重が1000グラムしかなく、(外では)生き延びることができない」ため、病院に残すしかなかったという。

 伝統に従い「(バラから抽出した)ローズウオーターを浴びさせて」、子どもの誕生を祝いたかったと話すマスリさん。だが、ガザでは清潔な水が入手しにくく、10日間沐浴(もくよく)させることさえできていないという。

 ミルク、薬、おむつなどの衛生用品を含む必需品の不足も深刻だ。「本当ならば、2時間おきにおむつを替えるのに、状況は厳しく倹約するしかない」ため、真新しいおむつに交換できるのは1日に朝晩2回だけだという。

 夫のアンマル・マスリさん(33)は家族を養うことができず、打ちのめされている。悪臭のただよう教室で6人の子どもに囲まれながら、「無力さを感じている」と語った。

「子どものことが心配だ。どうやって子どもたちを守ればいいのか分からない」と途方に暮れる。1日の大半は食料を探しに出かけている。

「(黄疸〈おうだん〉のある)ティアには母乳を与えなければならないので、妻にはタンパク質を含む栄養価の高い食べ物が必要だ。子どもたちにはミルクとおむつが必要だ。でも、どれも手に入らない」 (c)AFP/Mai Yaghi