■つらい生い立ち

 ガヤザで祖母に育てられたカスンバ選手は、両親のことを知らない。

 兵士だった父親は反政府勢力との戦闘で命を落とし、母親には2人のきょうだいと共に幼少期に捨てられた。

 8歳の頃には食費を稼ぐため学校を中退。ボランティアコーチのジョン・ボスコ・センパ(John Bosco Sempa)さんに出会って地元の球場に誘われるまでは、食肉処理場で動物の解体をした。

 天性の才能と決意がはっきりとすると、センパさんはカスンバ選手に自分の技術をSNSで発信するよう勧めた。カスンバ選手もSNSで新たなモチベーションの源やサポートを見つけた。

「最初は冗談から始まったが、今ではMLBのために米国へ行くんだ」とカスンバ選手。だが、すべてが順風満帆だったわけではなく、5月にようやく渡航ビザ(査証)が下りるまで、2度も申請を拒否された。「今は本当にわくわくしている」とカスンバ選手は話す。

 大リーガーを輩出したことがなく、野球への関心もサッカーや陸上と比べれば低い国からプロになるのは容易ではない。

 それでも、「私たちはカスンバに世界最高峰のリーグでプレーしてほしいと思っている。それが私たちの願いだ」「彼がベストを発揮し、心のままにプレーすることができればチャンスはある」とセンパさんは期待する。

 今やカスンバ選手は地元のスターで、人々に刺激を与える存在となっている。今回の米国への挑戦も、より広いコミュニティーにとっての勝利という意味合いがある。

 センパさんによれば、今ガヤザのダイヤモンドで練習している他の子どもたちの多くも、カスンバ選手と同様に絶望的な貧困の中で育った孤児たちだ。

「コーチとしては、自分が持つすべての選手に成功してもらいたい。カスンバのニュースは、彼だけのものではなく、私たちの国のためのものでもあるんだ」。そうセンパさんは語った。(c)AFP/Grace MATSIKO