■トラウマの記憶

 アラブ系イスラエル人社会の年長者の間には、過去の苦しみのトラウマが深く根付いている。

 バス運転手のウィサム・アリさん(54)は、第2次インティファーダ(反イスラエル闘争)が起きていた2000年10月の悲しい記憶を忘れていない。ヨルダン川西岸とガザが騒乱状態に陥り、エルサレムやイスラエル国内にも混乱は広がった。

 アラブ系イスラエル人がインティファーダを支持するためにデモを行った際には、13人が殺害された。アリさんは「その当時、国家は私たちに敵対した。だから今はもうあのようなことに関与したくない」とAFPに語った。「私たちは全ての人たちにとっての平和を望んでおり、アラブ系イスラエル人もユダヤ人も誰も苦しまないことを願っている」と強調した。

■誰も来なかった

 コミュニティーのボランティアであるサエド・イッサさんによると、これまでのところ、今回の戦争はアラブ系イスラエル人に影響を与えていない。

 ハマスがロケット弾攻撃を開始した際、カフルカシムの自治体は、アラブ系やユダヤ人を含めてイスラエル南部の町から逃れる人々を受け入れる準備ができているとのメッセージをソーシャルメディアを通じて発信した。

「最初の日からユダヤ人もアラブ系も含めて、私たちのところに避難するよう呼び掛けた」とイッサさんは語った。だが、「私たちは彼らの宗教については区別をせず、彼らのために家に滞在できる準備を整えたが、誰も来なかった」という。

 イッサさんは、イスラエル政府が「避難したユダヤ人に対してホテルの部屋を提供した」ことも一つの理由かもしれないと話す。

 一方で、カフルカシムに避難先を求める人がいなかったのには、別の理由があったかもしれないと述べた。「(イスラエル国内の)他の町とは異なり、ほとんどのアラブ系イスラエル人の町や村には防空シェルターが存在しない」と説明した。(c)AFP/Majeda EL-BATSH