【7月27日 AFP】56歳で死去したことが26日発表されたシネイド・オコナー(Sinead O'Connor)さんは、プリンス(Prince)さんの楽曲のカバー「ナッシング・コンペアーズ・トゥー・ユー(Nothing Compares 2 U)」を失恋アンセムに変えたアイルランド人歌手として永遠に記憶されるだろう。

 冬の仏パリ郊外、人けのない公園で撮影されたシンプルなミュージックビデオ。妖精のような顔立ちにスキンヘッドという強烈に個性的な風貌で、オコナーさんは涙をたたえながら、愛を失った魂の声を歌い上げていた。公私ともに波乱万丈だったキャリアと人生を象徴するかのようなビデオだった。

 1990年のマルチ・プラチナアルバム「蒼い囁き(I Do Not Want What I Haven't Got)」から、ラストアルバムとなった2014年の「アイム・ノット・ボッシー、アイム・ザ・ボス(I'm not Bossy, I'm the Boss)」まで、10枚のソロアルバムをリリースした。音楽的にはアイルランドの伝統音楽から、ブルース、レゲエまであらゆるジャンルを幅広く取り入れた。

 本名シネイド・マリー・ベルナデット・オコナー(Sinead Marie Bernadette O'Connor)さんは1966年、アイルランドの首都ダブリンで生まれた。5人きょうだいの3人目だったが、不仲だった両親は離婚する。

 2013年には幼少期について「盗癖があった」と話している。1992年のインタビューでは「性的、心理的、精神的、感情的な虐待、言葉による攻撃」に対処する方法だったと語っている。

 何度も補導された末、教会が運営する矯正施設に入れられた。そこで一人の修道女から音楽を勧められ、ギターを買ってもらった。やがてダブリンの路上で、さらにパブで歌うようになった。

 英ロンドンに移り住み、妊娠中だった20歳の時にファーストアルバムを制作した。レコード会社がソフトなイメージ戦略を要求したことに反発し、パンキッシュなスタイルが確固たるものとなった。

「ランチに連れ出されて、ミニスカートとブーツを履いて髪を伸ばし、女の子らしくしてほしいと言われた。彼らの愛人みたいにさせたいんだと思った」と英紙デーリー・テレグラフ(Daily Telegraph)に語っている。その後、ギリシャ人が経営していた理髪店に行き、頭をそってくれるよう頼んだ。「理容師は嫌がって泣きそうだった。私は大喜びだった」

 2013年には「音楽が私を救ってくれたと言うべきだろう」とも語っている。「刑務所に入るか、音楽を聴くかだった。私は運が良かった」