■ハンセン病患者に囲まれて

 ラピエール氏がガストンさんを訪ねた当時、マザー・テレサには世界中から薬の支援が集まっていた。その大部分が自助センターに寄付されていたため、ガストンさんも薬を使うことができた。

 ガストンさんは看護師らを訓練し、診療所を開設した。「薬はあったので他には何も必要なかった」「開設した年には6万人以上を診察した。翌年は10万人に増えた。3年後に小さな病院を建てた」

 ガストンさんはインド到着後すぐに国籍取得を決めたが、取得には「もちろん20年かかった」と話す。

 インドでの名字は「慈悲(ダヤ)の祝福(アナンダ)」という意味を持つ「ダヤナンド」にした。

 ガストンさんは長年、マザー・テレサの修道士らと共にピルカナでハンセン病患者の世話もしてきた。「とても小さな部屋でハンセン病患者500人に囲まれて、18年間を過ごした」

■「眠るための板」

 ガストンさんは白髪頭になり、電動車いすを使うようになった今も、西ベンガル州で助けを必要とする人々を支援している。インド移住後に設立したNGO12団体のうち、ICODなど6団体が今も現役だ。

 ガストンさんは1日の4分の3をベッドで瞑想(めいそう)し、キリストと向き合って過ごしている。

「眠るための板以外は所有したことがない。ベッドは今では、ブルジョアのように大きいが、私が望んだわけではない」と笑いながら話す。

 ガストンさんの一日は午前5時に始まる。部屋に隣接する小さな礼拝室で、ヒンズー教の象徴にかけられた聖骸布の複製に3時間の祈りをささげる。

 白い服に全身を包み、はだしで電動車いすに乗るガストンさんは、かやぶき屋根の施設の住民一人一人を訪問した後、自分の部屋に戻る。

 ベッド脇のテーブルには聖書と十字架、眼鏡、NGOに寄付してくれる人たちと連絡を取るために使っている古いノートパソコンがある。

「人生最後の日まで働くつもりだ」とガストンさんは言った。(c)AFP/Laurence THOMANN