【2月27日東方新報】2018年5月11日、日本を訪れていた中国の李克強(Li Keqiang)首相は安倍晋三(Shinzo Abe)首相(当時)とともに、東京都内で「故宮文化・クリエイティブ展示会」を見学した。会場で12点の中国の漆器作品が展示され、両首脳が鑑賞する様子は日中両国で報道された。

 これらの漆器は、中国の国家無形文化遺産「徽州(Huizhou)漆器塗装技術」の継承者、甘而可(Gan Erke)さんの手によるものだ。国際的に漆器と言えば日本のイメージだが、そのルーツは中国。この展示会を通じて、日本で中国の漆器に対する理解を深めるきっかけとなった。

 68歳の甘さんは安徽省(Anhui)黄山市(Huangshan)で生まれた。14歳で大工仕事を始め、24歳から市内の漆器工場で働き、漆器の工芸に携わるようになった。

 安徽省徽州地域には、唐・宋の時代から伝わる「犀皮(さいひ)漆器」があるが、その漆塗り技術が途絶えようとしていた。1996年、上級職人となっていた甘さんがその復活に取り組んだ。

 甘さんの探求は12年間に及んだ。昼夜を問わず漆を使い、試行錯誤を繰り返す日々。甘さんは実は漆アレルギーで、皮膚にアレルギーが出ると、症状が治まるのを待って作業を再開した。

 ある時はコレクターの友人に依頼して、唐代の有名な中国漆器を含む「正倉院宝物」の図鑑を日本から取り寄せた。この図鑑は甘さんに多くのインスピレーションを与えることになる。また、6万元(約117万円)を費やして明代の犀皮漆器を手に入れ、その質感を研究した。

「正しい方法は分からないので、自分を頼りにとにかく模索しました。数え切れないほど同じ作業を続け、ようやく前進することができた。現代的な作風も取り込むようにしています」。甘さんはそう話す。

 新たに命が吹き込まれた犀皮漆器は、北京の故宮博物院(The Palace Museum)、ロンドンの大英博物館(British Museum)、ニューヨークのメトロポリタン美術館(Metropolitan Museum of Art in New York)などに収蔵され、世界的に知られるようになった。

 2018年に東京での展示会をニュースで見た時、「長年の努力が無駄ではなかったと感じ、最高の作品を作りたい思いを新たにした」と振り返る甘さん。展示会後は、多くの日本の漆器作家が黄山市の甘さんの工房に訪れるようになった。甘さんは「日本の作家との交流で、漆器の技術が新たに発展しようとしている」と手応えを感じている。(c)東方新報/AFPBB News