【2月23日 AFP】世界最貧国の一つ、コンゴ民主共和国の首都キンシャサを、派手な衣装でめかし込んだ一団が練り歩く。ブランド品に身を包んだおしゃれな集団は、貧しい街の風景の中では異質な存在だ。

 地元で「サプール(Sapeur)」と呼ばれる男性たちは先週、伝説的ポップスター、ステルボス・ニアルコス(Stervos Niarcos)の命日に墓まで練り歩いた。1995年に亡くなったニアルコスは、多くのサプールにとって象徴的な存在とされている。

 数学教師の男性(52)は、ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)の青いダンガリーを着ていた。別の男性はジバンシー(Givency)の靴とコムデギャルソン(Comme Des Garcons)のシャツを身に着け、ケンゾー(Kenzo)の帽子を手に持っていた。

「サップ」と呼ばれる独自ファッションに身を包んだサプールは、高級ブランドに多額の金を注ぎ込む。自分でデザインした服を着ている人もいる。

 世界銀行(World Bank)によると、コンゴは世界最貧国の一つで、人口約1億人の3分の2が1日2.15ドル(約280円)以下で暮らしている。

 サプールの始まりは、隣国コンゴの首都ブラザビルの人々が、植民地時代に欧州ファッションと出会ったことまでさかのぼる。サプールは多くの人にとって、貧困、汚職、紛争から逃避し、気の向くままに楽しむ手段だった。

 キンシャサの国立芸術学校(Nationa Institute of Arts)で学長を務めるアンドレ・ヨカ・ライ(Andre Yoka Lye)氏は、自国でのサプールの広まりの背景には、第2次世界大戦(World War II)以降のベルギー植民地時代の経済成長があると指摘する。

 しかし、1960年の独立後は、経済の落ち込みとともにサプール・ファッションの意味が変化し、「身の丈以上の力の誇示」のようなものになったという。

 ただ、特に東部での紛争が激化している今日において、サプールは軽薄だとヨカ氏は考えている。「国は紛争下にある。サーカスのピエロみたいな服装をすべきではない」

 映像は10日撮影。(c)AFP