【12月29日 AFP】2022年のスポーツ界では、米プロバスケットボール(NBA)のビル・ラッセル(Bill Russell)氏をはじめ、数々のレジェンドがこの世を去った。

 AFPスポーツは、この1年間に亡くなった往年の名選手や指導者8人のレガシーを振り返る。

■バスケットボール
ビル・ラッセル氏――7月31日、88歳で死去

 ラッセル氏はボストン・セルティックス(Boston Celtics)王朝の中心的選手として活躍し、歴代最多11回のファイナル制覇を果たした。人種差別を乗り越え、リーグ最初の黒人スター選手となり、公民権運動にも積極的に関わった。

 引退後の1968年には、黒人ヘッドコーチ(HC)として初めてファイナル制覇を達成。くしくもそれは、公民権運動の指導者であるマーティン・ルーサー・キング(Martin Luther King Jr.)牧師が暗殺されたわずか数週間後のことだった。

■ボクシング
アーニー・シェーバーズ(Earnie Shavers)氏――9月1日、78歳で死去

「アーニーのパンチは本当に強烈で、アフリカにいる俺の血縁まで伝わるほどの衝撃だった」。1977年の世界ヘビー級タイトルマッチで、15ラウンドの死闘の末にシェーバーズ氏を破ったモハメド・アリ(Muhammad Ali)氏が試合後に語った言葉だ。

 シェーバーズ氏は10人きょうだいで育ち、白人至上主義団体「クー・クラックス・クラン(KKK)」の脅威にさらされる中で、一家で故郷の米アラバマ州を逃れた。ボクシングを始めたのは20代前半だったが、その恐るべきパンチでアリ氏らに畏敬の念を抱かせた。

■サッカー
ウーヴェ・ゼーラー(Uwe Seeler)氏――7月21日、85歳で死去

 ゼーラー氏は西ドイツ代表として、ブラジル代表の伝説ペレ(Pele)氏と同時期の1958〜70年に通算4度のW杯(World Cups)出場を果たしたが、トロフィーを掲げたことは一度もなかった。頂点に最も近づいたのは主将としてプレーした1966年大会で、チームは惜しくも決勝でイングランドに敗れた。

 クラブレベルでは、父親も在籍していた独ブンデスリーガ1部(当時)のハンブルガーSV(Hamburger SV)で1953年から72年までプレーし、リーグ戦476試合に出場。ファンからは親しみを込めて、「ウンス・ウーヴェ(Uns Uwe、われわれのウーヴェの意味)」と呼ばれた。

■米ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)
ダン・リーブス(Dan Reeves)氏――1月1日、77歳で死去

 眼鏡がトレードマークのリーブス氏は、指揮官として4度スーパーボウル(Super Bowl)の舞台に立ったが、優勝には一度も手が届かなかった。スーパーボウルに4度出場して優勝0回は、バッファロー・ビルズ(Buffalo Bills)のマーブ・リービー(Marv Levy)氏とミネソタ・バイキングス(Minnesota Vikings)のバド・グラント(Bud Grant)氏と並ぶ記録となっている。

 デンバー・ブロンコス(Denver Broncos)を3度スーパーボウルに導いた後、1999年にはアトランタ・ファルコンズ(Atlanta Falcons)のHCとしてNFLの頂上決戦に挑んだが、皮肉にもブロンコスの前に敗れ去った。選手時代にはダラス・カウボーイズ(Dallas Cowboys)のRBとしてプレーし、スーパーボウルのリングを勝ち取っている。