ツタンカーメンの墓発見から100年 財宝と王にまつわる五つの事柄
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【11月20日 AFP】古代エジプトの王(ファラオ)、ツタンカーメン(Tutankhamun)の墓が発見されてから今月で100年。世紀の大発見とされたが、いまだに多くの謎が残されている。ツタンカーメンと副葬品、王をめぐる謎について以下にまとめた。
■無傷の財宝
紀元前1324年ごろに19歳で死去したとされるツタンカーメンの墓が見つかったのは1922年11月。エジプト南部ルクソール(Lux
五つの部屋に置かれていたのは、王座や彫像、宝飾品、家具、武器など4500点超の副葬品だ。
古代エジプト王の墓の多くは何世紀も略奪の対象になってきたが、これまで発見された中では唯一、副葬品が無傷で発見された。
■黄金の財宝
副葬品の中には、柱にライオンの頭が彫り込まれた黄金の寝台や戦車、黄金の柄の短剣などもあった。専門家によると、短剣の素材は隕石(いんせき)に含まれる鉄だ。
玄室の壁は金で覆われ、三重構造のひつぎのうち、一番内側のひつぎには重さ110キロ分の金が用いられていた。
黄金のマスクには、金とラピスラズリ、目の部分には黒曜石と水晶が使用されている。
■母親は誰?
数々の分析で明らかになっているのは、ツタンカーメンの父親は紀元前1350年代から1330年代にかけて統治したアメンホテプ4世(Amenhotep IV、別名:アクエンアテン、Akhenaten)であることだ。この王は、絶世の美女とされたネフェルティテイ(Nef
そのため、ネフェルティテイ王妃をツタンカーメンの母親とする説もあったが、DNA鑑定によって別のミイラが実母であることが確定され、ツタンカーメンはアメンホテプ4世とその姉妹との近親婚の子であることが分かった。古代エジプトの王家で近親婚は珍しくない。
ツタンカーメンは紀元前1333年ごろ、9歳でナイル川上下流域の王位を継承したとされるが、正確な年齢と年代については専門家の間で意見が分かれている。