【10月12日 AFP】インドネシア・バリ(Bali)島で202人が死亡した爆弾事件から12日で20年を迎えた。実行犯でただ一人、生き残っているアリ・イムロン(Ali Imron)受刑者(52)は、事件について謝罪をしている。ただ、遺族らには受け入れられていない。

 事件は2002年、観光客に人気の町クタ(Kuta)で起こった。国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)とつながりがある国内のイスラム過激派組織ジェマ・イスラミア(JI)のメンバーが、バーやナイトクラブで爆弾を爆発させた。

 犠牲者のほとんどは、20以上の国から訪れていた観光客だった。オーストラリア人が最も多く、88人が亡くなった。

 ジェマ・イスラミアは、米国領事館にも爆弾攻撃を行ったが、被害者は出ていない。

 イムロン受刑者は、米領事館前に爆弾を設置した他、実行犯らの訓練を担当したとし、終身刑が言い渡されている。

 手錠が掛けられていない状態の同受刑者はAFPのインタビューに対し「死ぬまで後悔するだろう。そして死ぬまで謝罪する」と述べた。

 だが、被害者やオーストラリア政府は、謝罪の受け入れを拒否している。攻撃で目に一生治らない障害を負ったティオリナ・マルパウンさん(47)は「人は窮地に陥ると、そこから逃れるために何でも言うものだ」「彼は終身刑を言い渡されたのでそう言ったのだろう」と語った。

 イムロン受刑者は後悔の念を示すとともに、インドネシア政府が実施した脱過激化プログラムに協力したことが認められ、刑務所から薬物違反者用の施設に移された。

 同受刑者の兄弟2人は、ジャワ(Java)島沖の「監獄島」で銃殺刑に処された。イムロン受刑者は、深く反省し、捜査員に計画を打ち明けたことから、処刑を免れた。

 インドネシア政府は、爆弾製造を担当したウマル・パテック(Umar Patek)受刑者(禁錮20年)については、早期釈放を検討した。刑期はまだ半分残っている。

 しかし、オーストラリアと遺族の反対を受け、釈放は先送りされている。

 イムロン受刑者も同様に、早期釈放が検討されることを望んでいる。今年、大統領恩赦を申請したが、返事は受け取っていない。

 政府がイムロン受刑者の早期釈放を検討しているとの情報はない。国家テロ対策庁や法務省、大統領顧問はコメントの要請に応じなかった。

 イムロン受刑者は、兄の命令に従っただけだと主張。「ジハード(聖戦)は間違った行為だった」と話す。これまでに少なくとも400人の脱過激化プログラムに協力したほか、若者に寛容さを説く漫画キャンペーンを先導したと訴える。

 もし釈放されたら、脱過激化を後押しする活動を続けたいと言う。

 イムロン受刑者が本当に脱過激化したのかは、証拠が本人の言葉しかないため判断は難しい。爆弾攻撃について話す時は感情をほとんど示さず、自身が収監中の過激派メンバーであるにもかかわらず、過激派対策への協力について繰り返し強調した。

 それでもイムロン受刑者は、自分が影響を与えた人々に自身の行動は誤りだったと伝えたいと話す。「彼らに何度でも謝罪する」

 一方で、被害者のマルパウンさんは、早期釈放は認めないでほしいと訴える。「悔いている、自分は変わったと言うことはできるが、本当かどうかは神のみぞ知る、だ」 (c)AFP/ Jack MOORE