【12月8日 AFP】インドネシア・ジャワ(Java)島の最高峰スメル山(Mount Semeru)の噴火から3日後。火山に最も近い村は荒れ果て、木々がマッチ棒のように倒れている。

 火口から20キロ足らずに位置するチュラコボカン(Curah Kobokan)村では7日、救助隊員が工具や救助犬を使って生存者または遺体を捜していた。シュロぶき屋根ははがれ、トタン板も裂けていた。

 砂利採取を仕事としている近くの村に住むマルズキ・スガンダ(Marzuki Suganda)さん(30)は「チュラコボカンの実家は破壊されてしまった」と肩を落とす。「トラウマになった。親戚にチュラコボカンに戻る勇気があるかと聞いたら、みんな『木の下で寝る方がましだ』と答えた」

 ある家では、すべての部屋が屋根の残がいで埋め尽くされていた。破壊されたドアの向こうにつるされた衣服やリュックサックは、火山灰にすっかり覆われていた。

 噴火前、この村には約50世帯が暮らしていた。住民の多くはスメル山の斜面で砂の採取に従事していた。この一帯の火山性堆積物からは砂がよく採れるが、採砂場や周辺の集落は常に噴火の危険にさらされている。

「採砂場で働けば、安定した収入は得られる。危険なのは承知だが、他に何ができるというのか」とある男性は語った。

 少なくとも34人が死亡し、数千人が避難した被災地を訪れたジョコ・ウィドド(Joko Widodo)大統領は、約2000世帯の移転が必要になる可能性があると述べた。

 だが、採砂に依存している人に選択肢はほとんどない。ある人は「砂山を閉鎖したら政府が私たちを養ってくれるのか? 別の仕事があるのか?」と訴えた。

 一方、スガンダさんにとって今回の噴火は転機となった。「もう一度ここに住めと言われても、そんな勇気はない」。砂を採る仕事に戻ろうかと何度も考えるが、「ここはゴーストタウンになってしまうだろう。誰も戻りたがらない…住むのはとにかく危険だ」と語った。(c)AFP/Haeril Halim