【11月26日 AFP】1960年の誕生に始まり、1986年W杯メキシコ大会(1986 World Cup)制覇や1994年W杯米国大会(1994 World Cup)中の薬物陽性など、25日に60歳で亡くなったディエゴ・マラドーナ(Diego Maradona)氏の変化に富んだ人生の重要な10の日付をまとめた。

■1960年10月30日

 マラドーナ氏はアルゼンチン・ブエノスアイレス南部のラヌース(Lanus)で生まれた。父ディエゴ(Diego)氏と母デルマ(Delma)さんの7人の子供のうちの一人だった。

■1976年10月20日

 16歳の誕生日の直前、マラドーナ氏はAAアルヘンティノス・ジュニアーズ(AA Argentinos Juniors)でアルゼンチン1部リーグのデビューを飾った。77年2月にはセサル・ルイス・メノッティ(Cesar Luis Menotti)監督率いるアルゼンチン代表に招集され、ハンガリー戦で代表初キャップを獲得。1979年に英グラスゴーで3-1と勝利したスコットランド戦で代表初ゴールを決めた。

■1979年9月7日

 日本で開催されたFIFAワールドユース選手権(1979 FIFA World Youth Championship)で優勝。東京で行われたソ連(当時)との決勝ではチーム3点目のゴールを挙げ、3-1の勝利に貢献した。

■1982年6月13日

 ボカ・ジュニアーズ(Boca Juniors)の一員となったマラドーナ氏は、1982年W杯スペイン大会(1982 World Cup)で前回優勝国の一員としてW杯デビューを果たした。この大会後にスペイン1部リーグのFCバルセロナ(FC Barcelona)へ加入すると、その2年後には当時の世界最高額でイタリア・セリエAのナポリ(SSC Napoli)へ移籍した。

■1986年6月22日

 1986年W杯メキシコ大会準々決勝のイングランド戦で、「神の手」、そして後に国際サッカー連盟(FIFA)から「世紀のゴール」とたたえられた超高速のドリブルからのゴールという伝説の2得点を挙げた。アルゼンチンは決勝で西ドイツ(当時)を3-2で下し、大会制覇を飾った。

■1990年7月8日

 1990年W杯イタリア大会(1990 World Cup)では代表の主将を務めたが、決勝で西ドイツに0-1で敗れた。

■1994年6月25日

 1994年W杯米国大会で代表の主将を務めたマラドーナ氏は、2-1で勝利したナイジェリア戦の後、エフェドリン(ephedrine)の陽性反応が出たことで15か月の出場停止処分を受けた。ナポリ在籍時にもコカインの使用で同期間の出場停止となっていたマラドーナ氏は、1997年に現役を引退した。その後は薬物やさまざまな健康問題に苦しみ、2005年にはコロンビアで胃バイパス手術を受けた。

■2008年11月4日

 アルゼンチン代表監督に就任し、チームを2010年W杯南アフリカ大会(2010 World Cup)に導いた。準々決勝でドイツに敗れ、大会後に退任となった。

■2020年11月3日

 60歳の誕生日を迎えた4日後、脳血腫除去手術を受けた。

■2020年11月25日

 ブエノスアイレス郊外の自宅で心臓発作により死去した。

(c)AFP