【8月20日 AFP】昭和天皇が戦後間もない頃、戦争への悔恨と反省の思いを表明することを望んでいたが、吉田茂(Shigeru Yoshida)首相(当時)に止められていたことが、新たに公開された元宮内庁長官の文書で明らかになった。国内メディアが13日、伝えた。

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 宮内庁の初代長官を務めた田島道治(Michiji Tajima)氏が残した18冊の手帳やノートには、1949~53年に自身が昭和天皇と交わした会話などが書き記されている。

 文書によると昭和天皇は1952年、日本が独立を回復したサンフランシスコ講和条約発効の記念式典に向けた演説の草案について、「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」と話したという。

 さらに文書には、「反省といふのは私ニ(に)も沢山(たくさん)あるといへばある」「矢張り過去の反省と将来自戒の個所が何とか字句をかへて入れて欲しい」との発言も引用されている。

 しかし、当時の吉田首相は田島氏に「戦争を御始めになつた責任があるといはれる危険がある」と述べ、昭和天皇が戦争への悔恨と反省の思いを表明することに反対したという。

 最終的に演説では、悔恨と反省という語句は取り除かれた。

 昭和天皇の第2次世界大戦(World War II)における責任は、特に米国の一部の学者の間で今なお議論の的となっており、昭和天皇は軍の傀儡(かいらい)ではなく実際の指揮官であり、米政府の黙認によって裁判を免れたとの主張もある。(c)AFP