■おいしくなければリピートしてもらえない

 グロレ氏は、仏中部サンテティエンヌ(Saint-Etienne)近郊の小さな町で、美容師とトラック運転手の両親のもとに生まれた。彼の才能が最初に現れたのは、わずか13歳の時だった。

「作物の収穫を手伝ったお礼にと、農家の人がバスケットいっぱいのイチゴをくれた。私は(近くでホテルを経営する)祖父のためにそれを使ってストロベリータルトを作った」と、AFPの取材に同氏は語った。

 この時の経験をきっかけにグロレ氏は学校を中退し、村のパン店で修行するようになった。「午前11時にデザートを作ることを許してもらえるよう、一晩中パンを焼いた。そのおかげで、リンゴをスライスしたり、イチゴをタルトにのせたりできた」

 20歳でパリに上京し、フランスの高級食料品店フォション(Fauchon)に職を得て、後に現地スタッフの指導のため北京に赴いた。またフォションでは、クリストフ・アダム(Christophe Adam)氏とともに、新しいレシピの開発にも携わったこともある。

 グロレ氏はフランスのパティシエ・オブ・ザ・イヤーに輝き、マカロンの巨匠、ピエール・エルメ(Pierre Herme)氏から、「彼と同年代のパティシエの中で、最も才能ある人物の一人」と称賛された。

 グロレ氏は、アダム氏を追ってブルネイのスルタンが所有するル・ムーリスに移った。有名シェフのアラン・デュカス(Alain Ducasse)氏の下で、シェフ・パティシエとして働いている。デュカス氏からは「もっと味に磨きをかけるように」とのアドバイスを受けているという。

「見た目の美しさは人々を引き付けるが、おいしくなければリピートしてもらえない」と、グロレ氏は語る。ミレニアル世代である同氏は、その世代が食べ物を視覚でも楽しむことを理解している。