■生存者たちの声を「拡散」

 ハンターさんは、パークランドの事件で生き延びた生徒の一部が銃規制の厳格化に強い支持を打ち出し、声を上げていることを引き合いに出しながら「私たちが今、本当に重視したいのは、こうした運動を引っ張っている生徒たちの声を拡散すること」だと語った。

 2008~13年まで海兵隊に所属し、アフガニスタンへ赴任したこともある元射撃指導官のピート・ルシアさんも同様の考えの持ち主だ。ルシアさんは以前、米国に危害を及ぼそうとする者たちに立ち向かうのは「銃を持った正義の味方」という考えの「強い信奉者」だったことを明かした。

 彼のそうした考えを変えたのは、米国における銃関連の暴力と、そして戦場で過ごした経験だ。「戦場での混乱、銃撃戦や本物の戦闘に巻き込まれた際の困難を経験したことで、銃でできることについての自分の考えの多くが揺らいだ」とルシアさんは語る。

 銃は手放したが、射撃訓練は定期的に行っているというルシアさん。銃器に関する退役軍人らの知識は話題にすべき貴重なものだと話し、「私たちの多くは、銃器を称賛する家庭の出身だったり、そうした経歴を持っています。私たちは銃を所有する人々を必ずしも悪者扱いするわけではない。私たちは銃を理解しています」と続けた。

 そして「退役軍人という身元を明かすことで、私たちの立場は伝わります。それを批判をかわすための盾にしようというつもりはないし、退役軍人は一枚岩だと言うつもりも断じてありません」とルシアさんは語った。

■「まるで戦闘のようだった」

 2006~15年まで米陸軍に所属し、アフガニスタンに派遣されたというデニス・マニャスコさんは、ラスベガスの事件で容疑者が「バンプストック」と呼ばれる連射装置を使っているのを知り、見て見ぬふりをすることをやめたと語る。

「事件当時の動画を見た。バンプストックが装着されたライフル銃の音はマシンガンのようで、まるで戦闘が行われているかのようだった。そしてこのままではいけない、銃規制のために行動するべきだと思った」

 歩兵部隊の衛生兵だったマニャスコさんは「学校で友人らが銃撃され負傷する…そういった光景を見るために彼らは学校に通っているのではない。そんなことがあってはいけない」と訴えた。(c)AFP/W.G. Dunlop