【8月24日 AFP】できたての軽食を持ち帰れるのは、古代ローマ(Rome)人のおかげ──コロッセオ(Colosseum)でグラディエーター(剣闘士)の試合を観戦しながらかじる塩味の豆から、有名な公衆浴場で入浴後につまむソーセージや揚げ魚のスナックまで、これらのいわゆる「屋台料理」は古代ローマが発祥だという。古代ローマ帝国では軽食が日常生活の一部で、酒や賭博、時には今で言うセックス産業とも縁が深かったようだ。

 イタリア・ミラノ(Milan)では10月末まで、食や農業をテーマにしたミラノ国際博覧会(Expo Milan 2015)が開催中だが、これにちなんで首都ローマにある文化施設「アラ・パキス(Ara Pacis)」では、古代ローマ帝国と食べ物の関係に焦点を当てた企画展が行われている。同展では、帝国の民5000万人のための食料確保の方法など、当時の物流についても触れている。

 食料不足は社会秩序を乱す。そして、時に指導者を退陣に追い込む事態にすら発展する問題だ。ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス帝(Emperor Augustus、在位紀元前27年~紀元後14年)は、このようなリスクを嫌い、小麦や食用油、酒類などの食料品の確保を最優先課題として取り組んだ。そして、これまでのローマの「食」をがらりと変えた。

 朝食は、塩気のあるパンにドライフルーツと卵、そして牛乳や酒類をともに取るのが一般的だった。続く昼食は、ファストフード店の先駆けである「テルモポリウム」や、酒場の「ポピナ」で提供されていた。ポピナは下層階級の人々が集まる場所で、軽く食事するほかに賭け事や売春行為も行われていたという。

 そして午後の仕事や入浴の後、富裕層は豪勢な宴会を催し、クジャクの舌からヤマネのローストまであらゆるものを食した。それ以外の人々は生野菜やシチューといった夕食を取り、時には肉も食べたという。

 同施設学芸員のオリエッタ・ロッシーニ(Orietta Rossini)氏は、当時、首都ローマの住民100万人の胃袋を満たすことがとても困難であったことを強調しながら「彼らが食料品確保に向けて導入した物流システムは見事だ」と指摘している。産業革命がロンドン(London)で起きるまで、首都人口は、このローマが最大だったとされる。