■ナポレオンの遺産を守るのは「奉仕」

 残った資金を利用してダンクワンマルティノー氏は、ナポレオンが退屈に悩まされ、怨恨に苦しみつつ、52歳で亡くなるまで暮らした屋敷の翼棟部分の改築も始めた。ナポレオンが警備付きでそこに暮らしていた当時は、水が床下に溜まり壁をつたい、家中をネズミが走り回っており、常にかび臭さが漂っていたはずだという。ダンクワンマルティノー氏は、ネズミと水気以外はナポレオンが暮らした当時の様子を再現することを選んだ。ただし「壁が崩れるがままにはしなかった」。

 客室やセミナー施設もある改装後の屋敷は、ナポレオンのセントヘレナ島到着200周年を記念し、今年10月15日に開館式が行われる。「ワーテルローの戦い(Battle of Waterloo)」で英国軍に降伏したフランス皇帝ナポレオンは、敵から寛大な扱いを受けることを期待したが、欧州から遠く離れた不毛の離島に流されることになるとは想像もしていなかっただろう。

 しかし、どんなに遠く離れていても、人々は諦めずにこの島を訪れる。「皆、ナポレオン目当てでやって来る」と、セントヘレナ島のマーク・ケープス(Mark Capes)総督は話す。「セントへレナにとって、ナポレオンの遺産は非常に重要だ。彼は現在のセントヘレナの一部であり、この島の歴史の一部でもある。私たちはそのことをたたえ、それはマーケティングの一部でもある」

 改装プロジェクトの一環としてダンクワンマルティノー氏は、家具32点をフランスへ送った。ナポレオンの墓があるパリ(Paris)の廃兵院(Les Invalides)では来年、ナポレオンの流刑200周年の記念展で、これらの家具やナポレオンがセントヘレナに持参したぜいたく品の数々を展示する。

 来年にも退任を考えているダンクワンマルティノー氏にとって、観光客の波が押し寄せることが、ナポレオン最後の数年の番人という役割を終える際の最高の餞(はなむけ)となるだろう。「退職したら、15年前にやめた絵画を再開するつもり」だと話す。

 この間、ダンクワンマルティノー氏はセントヘレナの中心都市ジェームズタウン(Jamestown)の上に位置するブライアーズ・パビリオン(Briars Pavilion)にある邸宅の屋根の修復工事を開始した。ナポレオンが1815年のセントヘレナ島到着後、ロングウッドの屋敷に移る前に2か月間居住した場所だ。この修復工事は、公的資金の予算に入っていない。しかし、ダンクワンマルティノー氏にとって、ナポレオンの記憶を守る仕事は代償を求めない「奉仕活動」なのだ。だから屋根の修繕は自費から出資している。(c)AFP/Jean LIOU