05年に初めて本場のサンバ界に飛び込んだめぐみさんは、以来7回、リオを訪れている。最初の訪問のときから、ファベーラと呼ばれるスラムに滞在した。めぐみさんは言う。「日本人のサンバに対する見方を変えたい。サンバのダンスはエロティックなものではなく、もっとかっこいいものなんだと」

■努力して「家族」の一員に

 めぐみさんは神戸で開催されるサンバフェスタで、地元サンバチーム「フェジョン・プレット(Feijao Preto)」の一員として6年連続で最優秀賞を受賞している。ブラジルの主食の一つ、黒いんげん豆を冠したチーム名だ。

 ブラジルには世界で最も多くの日系人が住んでいるが、サンバ・パレードの中に日系人の姿を見かけることは少ない。「サンバは、基本的に肌の黒いダンサーが有利。日焼けで肌の白さをカバーするだけでなく、体型でも負ける自分は、動きを何倍にも大きくしようとしています」とめぐみさん。「初めから学校の近くのファベーラに住んだり、練習もほとんど休まず、みんなに認めてもらえるように努力してきました」

「初めてブラジルに渡った2005年、私の師匠、サウゲイロの振付師カルリーニョス(Carlinhos)の踊りを初めて見て衝撃を受けました。すぐ彼の元へ行き、テストを受けさせてほしいとお願いすると、その場で踊らされ、来週から来るようにと言われました」(めぐみさん)

 カルリーニョス氏は「彼女は荒削りだったが、才能があった」と振り返る。一方、サウゲイロのレジーナ・フェルナンデス(Regina Fernandes)会長はこう言い切った。「彼女は、私たちの家族だ」

 妙子さんは、老人ホームを訪れたときの思い出深い経験を話してくれた。「慰問先の老人ホームでサンバを披露した時に、普段は感情を表すことが少ないという寝たきりの方々が、涙を流したり、手でリズムを取ったりしてくれたことが、私の励みになっています」

「ブラジルでは、ただの趣味ではなく、人々が人生をかけてサンバに打ち込んでいる。その意気込みを、私たちは日本に伝えていきたいと思っています」(c)AFP/Chris WRIGHT, Yasuyoshi CHIBA