【12月28日 AFP】表紙が黄ばんだ「ドラム(Drum)」誌は、1950年代に花開き、ソフィアタウン(Sophiatown)がアパルトヘイト政権により破壊されると同時に消滅してしまった黒人のファッションやジャズの文化を思い起こさせる。

 ドラム誌は今年、創刊60周年を迎えたが、南アフリカ人にとっては今も、同誌と言えば「ソフィアタウン」だ。ヨハネスブルク(Johannesburg)郊外にあったこの街には、黒人、カラード、インド人、中国人が暮らし、そわそわした空気に包まれる一方で活気に満ちあふれていた。

 1955年から1960年の間に、ここの住民たちはヨハネスブルクの外に点在するタウンシップ(非白人居住区)に強制移住させられた。ブルーカラーの白人たちの住宅街が近辺に続々と出現し、ソフィアタウンが白人居住区に近すぎることへの懸念が持ち上がったためで、ソフィアタウンはブルドーザーでことごとく破壊された。跡地にはプアホワイト(低所得者層の白人)たちが移り住み、街の名前はアフリカーンス語で「勝利」を意味する「Triomf」となった。

「ソフィアタウンは1940年代から50年代にかけて先導役となり、都市部のアフリカン・カルチャーにパルス、リズム、スタイルを付与した」と、文化人類学者デービッド・コプラン(David Coplan)氏は自著『In Township Tonight』の中で説明する。「ソフィアタウンは灰じんに帰してしまったかもしれないが、南アの都市史においては類を見ない文化が花開く場所となった」

■黒人たちの都市生活を生き生きと描写

 ソフィアタウンの粋なギャングたちは、アフリカ系米国人の文化に触発され、クロムめっきを施した米国製のコンバーチブルを乗り回した。7万人の住民たちはソフィアタウンを自慢げに「リトル・ハーレム」と呼んだ。

 また、彼らが模範としたニューヨーク(New York)のように街中はジャズであふれ、反アパルトヘイト闘争のシンボルにもなった南アのディーバ、ミリアム・マケバ(Miriam Makeba)のほか、ドリー・ラテベ(Dolly Rathebe)、ダラー・ブランド(Dollar Brand)、ヒュー・マセケラ(Hugh Masekela)など、名だたる歌手や演奏家を輩出した。

 そして、この活気に満ちたソフィアタウン・ライフの中心にいたのがドラム誌のライターたちだった。先のコプラン氏はこう記す。「彼らは南アで最良の調査報道、最良の短編小説、最良の風刺的ユーモア、最良の論説、最良の音楽批評を世に送り出していた」

 ドイツ人写真家ヨーガン・シャドバーグ(Jurgen Schadeberg)は、「アフリカ人はみな農場労働者か鉱山労働者」という人種差別的な偏見に抗してソフィアタウンのアーバン・ライフを活写。ドラム誌の表紙を飾ったそれらの写真で名を馳せた。

 愛情を込めて「ミスター・ドラム」とも称された記者のヘンリー・ヌクマロ(Henry Nxumalo)は、農場労働者になりすまして白人の農場主たちの残虐非道を暴いた調査報道で知られる。1957年、妊娠中絶の調査中にナイフで刺され、帰らぬ人となった。ヌクマロの生涯は2004年に『Drum』というタイトルの映画にもなった。

 破壊から50年。名前が「ソフィアタウン」に戻されたこの街には、当時のソフィアタウンの記憶をとどめるための小さな博物館があり、ドラム誌に掲載された写真の一部も展示されている。

■ノスタルジアとロマンチックなイメージ

 ソフィアタウンは一種のシンボルとして重要な場所になっている。さまざまな有色人種が住みアパルトヘイト法をものともしないコスモポリタンな街は、町外れの荒廃したタウンシップというよりは、ブラック・サウスアフリカのロマンチックなイメージを想起させる。

 ヨハネスブルクのウィトウォーターズランド大(University of the Witwatersrand)の歴史家、Noor Nieftagodien氏は、「ソフィアタウンは郷愁とも相まって美化されています」と言う。「理解できます。ソフィアタウンはアパルトヘイトが破壊した一種のアーバン・ライフを象徴していましたから」

 ソフィアタウンの人口の圧倒的多数は黒人だったが、黒人とその他の有色人種は仲良く暮らしていたというイメージも根強い。

 だが、Nieftagodien氏によれば「ソフィアタウンは全然パラダイスではなかった」。住人たちはしばしば悪徳地主から搾取された。住民の大半は貧しく、スラムも点在していた。

■エリートのライター、アル中のライター

 ドラム誌は理想化された郊外の記憶と密接に結びついていると、Nieftagodien氏は言う。それと同時に、ライターたちはソフィアタウンと全く同じ現実に身を置いているわけではなかった。

「ライターの多くは特別なエリートで、中流階級に属していた。彼らにとって、ソフィアタウンは魅惑的な世界であり、小宇宙だった」(Nieftagodien氏)

 一方で、花形ライターの中には、投獄されたり、暗殺されたり、国外逃亡を余儀なくされたり、アルコール依存症で命を落とす者もいた。

 ドラム誌の体裁も、年月とともに変化した。次第に本文が減り、写真が多く掲載されるようになった。1984年にはアパルトヘイトを頑強に支持していた同国のメディア最大手ナスパーズ(Naspers)に買収され、現在は同社発行のゴシップ誌のブラック・バージョンとして位置付けられている。英語版とズールー語版が発行されているが、当時のような優雅さはない。(c)AFP