【6月9日 AFP】(一部更新)ガボン政府は8日、41年半とアフリカ最長の在任期間を誇るオマル・ボンゴ・オンディンバ(Omar Bongo Ondimba)大統領が、スペイン・バルセロナ(Barcelona)市内の病院で死去したと発表した。73歳だった。

 ジャン・イエゲヌドン(Jean Eyeghe Ndong)首相が、大統領が心不全のため同日午後2時半(日本時間午後9時半)に死去したとの連絡を受けたとの声明を読み上げ、同日から30日間の国家的な服喪を宣言した。葬儀の日取りは未定。

 大統領は、大腸がんのため、バルセロナの病院に入院中と報じられていた。

 ボンゴ大統領は1967年、旧宗主国のフランスの支持のもと、大統領に就任した。ガボンは石油などの資源に恵まれて比較的豊かな国だが、人口150万人の大半は貧困状態のままだ。

 同国では既に、大統領死後の政権の空白状態が懸念されていた。7日夜に大統領死去の第一報が流れると、首都リーブルビル(Libreville)では、多くの市民がガソリンの買いだめに走る姿が見られた。

 翌8日には、市内各所に警察と軍隊が配置された。一方で、市民が海外のニュースを得る唯一の手段としているインターネットのアクセスが遮断されたとの報告が相次いだ。 

■フランスと対立関係に

 任期の終盤は、公金横領疑惑をめぐり、フランス政府との泥仕合に終始した。前年12月に、公金を横領してフランス国内に豪邸を建てたとして、フランスのNGOに告発されたことが発端だ。

 今年2月にフランスの裁判所がボンゴ大統領の銀行口座の凍結命令を出したことが、両国の対立を決定的なものにした。ガボン政府は、「国を政情不安に陥れるためのキャンペーンを張っている」として、フランス政府を激しく非難した。

 3月には、45歳のエディット・リュシー(Edith Lucie)夫人(コンゴ共和国のドニ・サスヌゲソ(Denis Sassou Nguesso)大統領の娘)がモロッコで病死したことを明らかにするとともに、喪に服するために執務を一時停止すると発表した。
 
■フランスとの「持ちつ持たれつ」の関係

 ガボンは、1960年代にアフリカ諸国としては初めて、フランスの石油会社エルフ(Elf)社による開発を認可した。同社はガボンにおいてフランス軍の基地やスパイ活動の拠点としての役割も果たした。2003年にパリ(Paris)で行われた同社前会長の裁判では、ボンゴ政権下での大規模な汚職や不正取引の実態も明らかになった。

「フランスのないガボンは、ドライバーのいない車のようなもの。ガボンのないフランスは、ガソリンのない車のようなもの」とは、ガボンとフランスの関係を表現するときに、ボンゴ大統領が口にしていた言葉だ。

■フランスの反応

 ボンゴ大統領死去の報に接したニコラ・サルコジ(Nicolas Sarkozy)仏大統領は、哀悼の意を表するとともに、「フランスはガボンの味方である」と強調した。その背景には、公金横領疑惑をめぐって悪化しつつある両国関係がある。ボンゴ大統領は今回、フランスではなくスペインの病院を入院先に選んだ。

 サルコジ大統領は、アフリカ駐留部隊の縮小の一環として、ガボンの首都リーブルビルからフランス軍を撤退させる方針を示している。

■後継者は?

 後継者として有力なのは、息子のアリ・ボンゴ・オンディンバ(Ali Bongo Ondimba)国防相(50)だ。しかし観測筋は、ボンゴ大統領の任期が極めて長かったこと、同国が多民族国家であることから、先行きは不透明との見方を示している。

 なお、政府は8日、不測の事態に備えて国境を閉鎖した。(c)AFP