【12月25日 上間常正】「すべては、情熱の導きか」。高級宝飾時計ブランドのピアジェ(PIAGET)を率いる4代目会長イヴ・G・ピアジェ(Yves G. Piaget)はそう語った。今年7月、東京・六本木の新国立美術館で開催した「エクストラヴァガンザ」展で、ピアジェは創業1874年以来の独創に満ちた創作の歴史を示した。クリスマスセールを前に来日した会長が、ピアジェの哲学とそこにかかわる自らの姿勢について胸のうちを語った。

 創業者ジョルジュ・ピアジェの孫に当たるイヴは、1942年、ピアジェ発祥の地であるスイスのラ・コート・オ・フェ生まれ。大学で時計製造の学位を得て、アメリカに留学して宝石研究を学んだ。66年にピアジェに入社し、このブランドが奔放なクリエーションと新たな技術開発によって飛躍した時代を担った。

■時代に向け打ち上げる「花火」  

 「エクストラヴァガンザ」では、イヴが社業に加わった60年代から80年代の作品が主に展示された。「狂騒ともいえるほど、さまざまな分野で華々しいクリエーションが生まれた時代だった」とイヴは振り返る。ジュエリーと貴金属を時計と融合させたピアジェは、挑戦的なデザインと色彩に満ちた数々の画期的な作品を次々と誕生させた。  

 「時代に向けて花火を打ち上げる気分だった。想像を裏切るような展開が起きて、見る方もそれを期待していた。新しいものの見方や表現の仕方を人々が理解していた時代でもあった」  ピアジェの「花火」には秘密があったようだ。

 「大胆なデザインを支えるのは、職人の技術力と最新のメカニズム。ピアジェには、その二つを融合させるような人のまとまりがあった。それが大胆な製品を送り出す勇気を生んだのだと思う」。

 時計作りの世界はデザインや性能より伝統が重んじられる閉鎖的な状態が続いていた。イヴが率いるピアジェは時代の変化を敢然として取り入れ、花火を打ち上げ続け、それが新たなピアジェの伝統となった。

■革新への挑戦と伝統との調和  

 「私はいつも革新に挑戦しながら、伝統との調和を考えてきた。新しい決断をするときにはいつも、勤勉で素朴に物作りを重ねてきたラ・コート・オ・フェに立ち返った。それが4代目としての私の役割だった」。好きな車の運転にたとえて語る。「ギアが3段だと思って運転していたら実は4速もあった。気がついたら高速道路を走っていて、そのうち5速も6速もあることが分かった。ピアジェはそんな車みたいだった」  

 実際に、60、70年代のピアジェ製品の奔放なデザインを可能にさせたのは、ラ・コート・オ・フェの工房が直前に生み出した極薄型の6Pや12Pキャリバーだった。「テクノロジーの進化やライフスタイルの変化がクリエーションの革新の後押しをしてくれた。私はそのタイミングを見逃さないようにしていただけ」とイヴは語る。

■「情熱がいつも自分を導いてくれた」  

 クリエーションを打ち出せばそれが支持されるような熱狂的な時代はもう過ぎたという。消費者の意識もめまぐるしく変わり、マーケティングも欠かせない時代になった。車の速度でいえば「60年代が時速100キロなら、今はもう300キロで走っている時代」だという。  

 速度は変わっても、決断は率いるものが最終的な勇気を担わなければいけなかったはず。あえて自らの業績を語ろうとしないイヴにさらに質問をしたら、こんな風に応えた。  

 「私は周りにあるものすべてに深い興味を抱く質です。その情熱がいつも自分を導いてくれた。40年以上もピアジェで仕事をしてきて、私がやってきたのはその情熱と、それを実現させるために必要な少しばかりの理性をスタッフに伝えることだったのかもしれない」(c)MODE PRESS