韓国のキム・デジュン(金大中)大統領と握手するキム・ジョンイル(金正日)総書記(左)=2000年6月、肩書は当時=大統領記録館(c)MONEYTODAY
韓国のキム・デジュン(金大中)大統領と握手するキム・ジョンイル(金正日)総書記(左)=2000年6月、肩書は当時=大統領記録館(c)MONEYTODAY

【03月31日 KOREA WAVE】北朝鮮のキム・イルソン(金日成)主席が生前、中国の鄧小平氏に対し、キム・ジョンイル(金正日)総書記を後継者として「頼む」と伝えていた事実が、韓国外務省が28日に公開した機密解除外交文書により明らかになった。

今回公開された外交文書は、外務省が機密解除した2506巻・38万ページ以上にのぼるもので、制作から30年が経過した記録を一般に開示したものだ。

◇「キム・ジョンイル支持は鄧小平の意志」

文書によると、キム主席が死去した直後の1994年7月10日、当時北京の韓国大使館に勤務していたキム・ハジュン参事官が中国外務省の北朝鮮担当者と秘密裏に接触。その内容は、駐中大使だったファン・ビョンテ大使を通じて本国に報告された。

中国側は、キム主席の死去とほぼ同時に、内部的にキム・ジョンイル体制を支持する方針を決定していたという。中国側の担当者は「キム・イルソンは長年、キム・ジョンイルへの権力移譲を準備してきた。他に選択肢はなく、結局、キム・ジョンイルが後継者になるしかないとの結論に至った」と述べ、政権の安定のため中国政府としてもキム・ジョンイル氏支持を決定したと説明した。

さらに注目すべきは、キム・イルソン氏がかつて中国を訪問した際、鄧小平に「息子のことを頼む」と発言したという事実だ。文書には、キム主席が「託孤(後継者を頼む)」という表現を用いていたと記録されている。

“小さな巨人”と呼ばれた鄧小平は、1989年に第一線から退いた後も中国指導部に絶大な影響力を持ち続け、江沢民、胡錦濤両政権誕生にも関与したとされる。その影響力は今回の文書でも確認され、「鄧小平が健在な限り、中国政府は彼の意志を無視できない」と中国側が語っていた。

この対応は、北朝鮮との“血盟関係”を再確認する一方、韓国側に対しては「現中国指導部の判断ではなく、あくまで鄧小平の遺志である」とすることで、外交的余地を残す狙いがあったとも分析されている。

また、当時の江沢民主席と李鵬首相は北朝鮮に送った弔電の中で「キム・ジョンイルを中心に団結してほしい」と記しており、中国の支持姿勢が極めて明確だったことが示されている。

◇キム・イルソン死去直後、韓国政府を驚かせた“クリントン発言”の舞台裏

1994年7月、キム・イルソン主席は史上初の南北首脳会談を18日後に控えた時点で急死した。キム・ヨンサム(金泳三)大統領は7月25~27日に平壌を訪問する予定だった。

だが、その矢先、米国から“思わぬ一言”が飛び出す。当時のクリントン米大統領がイタリアで開かれたG7首脳会議の記者会見で「北朝鮮側が南北首脳会談の継続推進の意思を韓国側に伝えたと理解している」と発言したのだ。

この“寝耳に水”の発言に韓国政府は騒然とした。韓国外相だったハン・スンス(韓昇洙)氏は、当時駐米大使だったハン・スンジュ(韓昇洙)氏からの報告書に「?」マークを書き込んだという。すぐに「北朝鮮側からそのような意思表示は一切受けていない」として、米側に発言の真意を確認するよう指示を出した。

ハン外相は「せっかく生まれた対話の機運を米国側が保とうとする意図は理解するが、米朝関係や核問題をめぐる現在の状況を考えると、あまりに先走った発言だ」として、柔らかくも首脳会談再開には否定的な立場を伝えた。

その後、クリントン大統領が一部報道に基づいて発言したことが判明し、この騒動は「誤報によるハプニング」として収束した。

(c)news1/KOREA WAVE/AFPBB News