南極観測を基地建設でサポート、建設技術者の南極入り・中国
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【2月26日 Peopleʼs Daily】人民日報(Peopleʼs Daily)の記者が、中国鉄道建設エンジニアリング集団・南極プロジェクト部の羅煌勛(Luo Huangxun)副部長にインタビューを行った。
今年、中国は極地探検40周年を迎える。昨年11月1日、第41次中国南極探検隊が出発し、羅煌勛副部長も14回目の南極行きとなった。中国鉄道建設工程集団・南極プロジェクト部の建設技術者たちを率いて、再び南極のロス海(Ross Sea)イネクスプレシブル島(Inexpressible Island)に向かい、新たに建設した「秦嶺(Qinling)基地」の内装工事や電気機械設備の設置を進め、探検隊員たちが新世代の科学探検プラットフォームに一日も早く「入居」できるよう工事を急いだ。
■14回も南極に行った体験とはどのようなものか
南極観測基地の建設に費やした2000日以上の昼と夜、骨身にしみる寒さを味わいながらも、「献身」という熱い思いを体験した。中国の建設と科学研究が一致団結、心が一つになって、極地研究の画期的な成果が達成され、感動的な「中国の物語」が書き上がた。
この物語は、厳しい風雪にも負けない粘り強い物語だ。秦嶺基地の建設地は科学的価値が高いが、環境は極めて過酷だ。イネクスプレシブル島の冬の気温はマイナス40度まで下がり、極度に乾燥した極低温の離岸風が吹き荒れ、設置した自動気象観測設備は何度も強風で倒された。基地のカーテンウォールパネルを設置していた時、時速120キロの暴風が吹雪と濃い霧を巻き上げ、視界は5メートル以下になった。ロープを頼りに手探りで進むしかなかったが、歯を食いしばり、南極観測基地建設の「最(建設従事者最多、荷揚げ資材量最多、建物規模最大、建設期間最短)」という数々の記録を打ち立てた。
この物語は、自己革新の敢闘精神の物語でもある。1980年代、長城基地や中山基地を建設した時は、機械設備はほとんどなく、資材は肩で担ぎ、手で持ち上げ、ロープで引っ張るしかなかった。しかし、現在の秦嶺基地建設では、高所作業車やローダーなど34台の機械設備を投入し、建設効率を大幅に向上させた。技術面では、BIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング)技術を活用し、モジュール化・プレハブ化された建設方式を実現し、最大規模の建築物を60日以内に完成させた。材料面でも、特殊耐候性鋼などの新素材を使用し、超低温下での鋼材の脆性問題を解決し、海岸の強い腐食環境にも耐えられる建物を建設した。
南極観測基地の建設では、新しい設備、新しい技術、新しい素材が幅広く使用され、次々と新記録を打ち立てるための強力な支えとなった。「科学に方法を求め、技術に解答を求める」という姿勢を貫くことで、氷の大地の上で新たな成功を積み重ねることができる。
この物語は、グリーンで低炭素の発展の物語でもある。南極での建設には、生態環境保護の厳格な基準が求められる。プレハブ工法を採用し、建設廃棄物の発生を最小限に抑え、建設廃棄物の処理技術を革新し、フォルムアルデヒドやフッ素を含まない材料を使用することで、「南極の環境を破壊せず、一片の石も持ち出さない」という約束を果たした。秦嶺基地は、太陽光や風力などのクリーンエネルギーを60パーセント以上活用する「受動的超低エネルギー消費建築技術」を導入し、エネルギー消費と二酸化炭素排出を効果的に削減している。南極での科学探査は「グリーン探査」であり、基地建設者としても、この理念を工事のすべての工程に組み込んでいる。
「到達」は、新たな「出発」を意味する。風雪を乗り越え、氷を砕いて基地を築き、これからも極地探査の場で「中国の建設」「中国の姿」「中国の奇跡」を目の当たりにすることになるだろう。(c)Peopleʼs Daily/AFPBB News