【9月3日 AFP】以前は、新たな人生に向かっていくという希望があった。だが、ここで足止めされ、いつ出ていけるのかも分からない今、ここにあるのは諦めの念と疲労感だ。

ギリシャ・サモス島のバシー市で、海を眺める移民(2019年6月18日撮影)。(c)AFP / Louisa Gouliamaki

 移民危機は世界のトップニュースから消えてしまったように見えるが、その発端から私が取材を続けているギリシャでは、今も厳として存在している。

 今の状況は、最も緊急性が高かった2015年の状況と多くの点で比べることができない。

 当時は毎日何千人という人々が、レスボス(Lesbos)やサモス(Samos)といったギリシャの島々にボートで漂着していた。多くはシリアやアフガニスタン、イラクでの紛争から逃れて来た人々だった。

トルコからエーゲ海を渡りギリシャのレスボス島に接近する難民を乗せたゴムボートが海上に点在する様子(2015年10月4日撮影)。(c)AFP / Aris Messinis

 当時はカオスだった。

移民を乗せてピレウス港に到着するギリシャ政府がチャーターしたフェリー(2015年8月21日撮影)。(c)AFP / Louisa Gouliamaki

レスボス島からピレウス港に到着したフェリーから下船する移民たち(2015年10月6日撮影)。(c)AFP / Louisa Gouliamaki

 家族連れ、若い男性、高齢者──至るところで路上生活をする人々の姿が目に入った。

ギリシャの首都アテネの中央広場で眠る人々。アフガニスタン難民を主とする難民数百人が、水道もトイレもないこの広場を一時的な避難場所としていた(2015年9月10日撮影)。(c)AFP / Louisa Gouliamaki

 彼らの多くは欧州の他の国々、特にドイツへ向かって歩みを進める前にしばらくここにいるだけだった。

日の出に合わせて、ギリシャとマケドニア(当時)の国境へ向かう移民たち(2015年9月5日撮影)。(c)AFP / Louisa Gouliamaki

 現在の状況はもっと整理されている。多くは支援団体が用意したキャンプか、その周りにはみ出たエリアで暮らしている。例えばサモス島では、私たちが「ホットスポット」と呼んでいるメインキャンプは定員650人の設計だが、そこに3700人が暮らし、あふれた人が暮らすためのテントがいくつもキャンプの外側に立っている。

ギリシャ・サモス島のバシー市を見下ろす場所に仮設された難民キャンプで、シャワーを浴びに行く移民(2019年6月18日撮影)。(c)AFP / Louisa Gouliamaki

ギリシャ・サモス島のバシー市を見下ろす場所に仮設された難民キャンプでお茶をいれる移民の女性(2019年6月18日撮影)。(c)AFP / Louisa Gouliamaki

 最近、ギリシャの総選挙前にサモス島を訪れた際には、アフガニスタンから新たに到着した家族に出会った。5人の子どもを連れて、2日前にサモス島に着いたばかりだという夫婦は、テントを設営していた。子どもたちは、自分たちを雨から守ってくれるタープを張るのを手伝っていた。それは心が温まると同時に、痛みもする光景だった。これまで住んでいた故郷とは全く違うこの新たな土地で、最低限しのげる小屋をつくる親と手伝う子どもたち。亡命申請の手続きが進められるのを待ちながら、彼らがこの先何か月も、事によっては何年もここで過ごす可能性が高いことを知りつつ、私はそれを見ていた。

ギリシャ・サモス島のバシー市にある難民キャンプを出入りする移民たち(2019年6月18日撮影)。(c)AFP / Louisa Gouliamaki

 ギリシャの島々には、今も多くの人が漂着している。以前のように一挙に押し寄せるのではなく、淡々と絶え間なくたどり着いているのだ。5月には約3000人が漂着した。1日当たり100人のペースだ。今やギリシャにはそうした人々が1万5800人以上いる。

 だが、以前のギリシャの島々が中継地点だったとすれば、今は人々が立ち往生する場所と化している。

ギリシャ・サモス島のバシー市で、欧州対外国境管理協力機関(FRONTEX)が派遣したドイツの船に向かって祈る移民(2019年6月18日撮影)。(c)AFP / Louisa Gouliamaki

 職がなく、言葉が通じず、理想的とは言い難い状況で暮らしている人々の存在は、地元の住民にある種の不安を抱かせている。サモス島の住民と話すと、難民たちの存在に反対するという人も、犯罪について語る人もいない。難民の到着によって、犯罪が増えているわけではないからだ。

 しかし、自分たちの街がもはや自分たちのものでなくなっていると感じている住民たちの間には、大きな懸念や不安がある。例えば、日も暮れて気温が下がってくると住民たちはいつも家の外に出てくるのだが、すると子どもたちの遊び場に、連れのいない男性たちが座っている。

 この男性たちが、大してやることもなく、他に行くところもない状況に置かれていることは分かっている。それでも地元の人たちは、子どもたちをその遊び場に連れて行かない。多くの住民が「知らない人たちだから、近づかないに越したことはない」と私に言った。

ギリシャ・サモス島のバシー市で、子どもの遊び場に座る移民(2019年6月19日撮影)。(c)AFP / Louisa Gouliamaki

 難民たちの側には、失望感もある。幼い2人の子どもを連れたシリア出身の母親に、私は話しかけた。サモス島に暮らすようになって、1年7か月がたつという。この女性は幸運にも国連(UN)の難民支援機関が提供したアパートに住んでおり、他の家族がいるドイツが最終目的地だった。彼女は言葉が分からないこの小さな島で、子ども2人を抱えながらやっていくのに非常に苦労していた。

 別のシリア出身の家族は両親と子ども3人という構成で、「ホットスポット」と呼ばれる難民キャンプに1年半住んでいた。にこやかに取材に応じてくれ、自分たちが置かれた状況の中で最善を尽くしてはいたが、状態が良いとは言えなかった。疲弊し、当てのない状況への不安を抱えていた。言葉が分からず、親族もおらず、子どもが学校に行くこともできない外国で身動きできなくなっている。いつここを出ることができるのか、そもそもここを出ることができるのかどうかさえ分からない。

ギリシャ・サモス島のバシー市の広場で遊ぶ地元の子どもと、その脇に座る難民の家族(2019年6月19日撮影)。(c)AFP / Louisa Gouliamaki

 ギリシャの首都アテネでの移民たちの状況はましだ。街にもっと溶け込み、子どもたちも学校に行っている。ギリシャに着いた移民たちの多くが次へ行こうとする一方で、この国に残ることを選択する人々もいる。彼らはギリシャ語を学び、たぶん職を見つけもしたのだろう。それでも大半の人々は、他の西欧諸国へ行きたがる。

 島では難民問題は大きな話題の一つだが、アテネなどの大都市では、総選挙前の争点として、大きく取り上げられることもなかった。

 もちろん、人々は分かってはいる。ギリシャには難民・移民合わせて8万人近くが住んでいて、さらに毎月到着しているのだ。だが、それが緊急課題とはなっていない。

子どもを抱えて早朝、ギリシャのレスボス島に到着したシリアからの移民(2019年6月18日撮影)。(c)AFP / Louisa Gouliamaki

ギリシャのレスボス島に到着し、子どもを温めるシリア人の母親(2019年6月18日撮影)。(c)AFP / Louisa Gouliamaki

 今後、どのように状況が進展するのかを予測するのは難しい。それは、中東やその他の地域の紛争による部分が大きいだろう。人は自分や自分の子どもたちのために、より良い未来を求め続ける。人であれば当然のことだ。そして、たとえ望んだとしても、海を閉ざすことはできない。

このコラムは、ギリシャの首都アテネを拠点とするフォトグラファー、ルイザ・グリアマキ(Louisa Gouliamaki)が、AFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者とともに執筆し、2019年7月18日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

ギリシャ・サモス島のバシー市で、地元の漁船を眺める移民の若者たち(2019年6月18日撮影)。(c)AFP / Louisa Gouliamaki

沈みかけたゴムボートから脱出し、地中海にあるギリシャのコス島に泳いで到着してVサインを掲げるシリア移民(2015年8月17日撮影)。(c)AFP / Louisa Gouliamaki