編集部注:このコラムには、パート1があります。
【記者コラム】肉親(パート1)──ISに引き裂かれたヤジディーの家族

【8月28日 AFP】ヤジディー教徒の両親から生まれた子どもたちは、ヤジディーの社会へ戻ることを許された。だが、レイプされたヤジディー教徒の女性から生まれた子どもたちは、許されていない。まるで、そういった子どもたちの中に、ヤジディー教徒の部分が存在していないかのようだ。あるのは、イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」だけ。インタビューに答えた多くの人々が、こうした子どもたちに流れるヤジディー教徒以外の血が、彼らを暴力的で過激な性格にしてしまうと暗に言っていた。「こういう子どもがまともに育つと思いますか?」。ある活動家の男性は、私にそう聞いた。

イラク・ドホーク県カンケにある避難民キャンプで暮らすヤジディー教徒の子どもたち(2019年6月24日撮影)。(c)AFP / Safin Hamed

 人々が、子どもたちのことをこんなふうに話すのを聞くのは、つらかった。想像を絶する残酷さの犠牲になった人々は、自分の意思とは無関係に、レイプによって生まれてきた子どもたちに、もっと同情すると思っていたのだ。

「こういう子どもたちを受け入れるべきだとすれば、人道的な理由、ただそれだけです。でも、受け入れるべきではないと考える人々には、数えきれないほどの理由があります」。活動家の男性はそう指摘する。「子どもの父親がISのメンバーなら、どうやって身分証明書を取得してあげればいいのでしょう? 父親の名前はどう登録すれば? アブバクル・バグダディ(Abu Bakr al-Baghdadi)とでも?」。彼はIS最高指導者の名前を引き合いに出して笑った。

 また、公的機関に属するソーシャルワーカーの女性は、ISの元で暮らした子どもたちは、過激な思想に染まりやすいと話す。「子どもというのは、弾が入っていない武器のようなもの。望み通りの弾を込めることができるのです」。そう断言した。

イラク・ドホークから北西に約15キロ離れたカバルトの避難民キャンプで、ヤジディー教徒の心のケアに当たるナグハム・ハサン医師(2019年2月3日撮影)。(c)AFP / Safin Hamed

 また、ヤジディー教徒の産婦人科医で、ヤジディー社会を守るため奔走してきたナグハム・ハサン(Nagham Hasan)医師は、IS戦闘員の父親を持つ子どもを受け入れることは、残忍な扱いを受けてきた少数派の人々にとって、ハードルが高過ぎると指摘。「彼らは敵の子どもたちなんです」。彼女は静かにそう言った。

 初めてハサンさんに会ったのは、今年1月下旬。頼れる相手がいない大勢のヤジディー教徒の、事実上のセラピストとして働いていた彼女を取材した時だった。私たち取材班は、テントからテントへと駆けずり回るハサンさんの後を追いながら、若い患者の身体的な傷だけでなく、心の傷まで癒やすハサンさんの姿を目の当たりにした。だが、今回は、イラク北部のクルド人自治区ドホーク(Dohuk)のショッピングモールで、コーヒーを飲みながら話をした。ハサンさんの目の下のくまは、以前にも増して濃くなっていた。

「皆、疲れ切っています。同じ問題について話し合うことにも、何の前進も見られないことにも、皆うんざりしています」

 その週、多くのヤジディー教徒から話を聞いたが、彼らが語ったのは、終わりの見えない避難生活や、行方不明になったままの親族に、いかに心をすり減らしているかということだった。イラク北部シンジャル(Sinjar)の大部分は今もがれきに埋もれており、帰還したヤジディー教徒は数千人にとどまる。「シンジャルがなければ、ヤジディー教徒もいない」。高位聖職者委員会のアリ・クヘデル(Ali Kheder)氏はそう話す。

イラク・シンジャルで発見された集団墓地で、ISに殺害されたヤジディー教徒の遺骨を調査する男性(2015年2月3日撮影)。(c)AFP / Safin Hamed

 多くの人々は、疲労がいら立ちに変わっている。地元当局や連邦当局、国際社会に対する煮えたぎる怒り。記者に対しても、怒りをぶつけてくる。国際的に認知されることが現実的な支援につながるとを期待して、5年にわたりISから受けたおぞましく屈辱的な残虐行為を公表してきたのだ、と彼らは主張する。そうした失望感の中で、ISの親を持つ子どもを受け入れる可能性について彼らに尋ねるのは、まだ大きく開いたままの傷口に塩を塗るのと同じことだった。

 ヤジディー教の聖職者で、聖地ラリッシュ(Lalish)を管理しているババ・シャウィッシュ(Baba Shawish)氏は、帰還したヤジディー教徒の女性や子どもについて話すことを断固拒否した。

「今も行方不明の少女が数千人いる中で、帰還したのはそのうちのわずか数人です。あなたの目には、これらの子ども1人に、ヤジディーの少女1000人分の価値があるように見えるのですか?」。言葉に苦々しさを込めなががら、私に聞いた。

ヤジディー教の新年の儀式が行われている、イラク・ドホーク近郊ラリッシュの寺院に集まったヤジディー教徒の女性たち(2019年4月16日撮影)。(c)AFP / Safin Hamed

 インタビューの相手に、つらい過去を乗り越え、語ってもらうのが困難なケースも多かった。そうしようとしても、なかなかできなかったのだ。そんな時、スーザンさんの存在は大きな助けとなった。

 ジンダ基金(Jinda Foundation)のソーシャルワーカーで、シーク教系NGO「カルサ・エイド(Khalsa Aid)」のイラク支部代表を務めるスーザンさんは、私が出会った中で、最も天使に近い存在だ。スーザンさんはドホークのヤジディー社会の熱心な支援者で、周辺の避難民キャンプで生活するヤジディー教徒たちにとって、思いやりある聞き役であり、機知と創造力に富んだ人物でもあった。

 スーザンさんが避難民キャンプにひしめくテントの間を縫って歩いていると、大勢の子どもたちや、彼女が名付け親となった赤ん坊を抱いた母親たちが集まってくる。10代の少女たちも、スーザンさんの訪問を心待ちにしている。衛生用品をもらったり、恥ずかしくて誰にも聞けないことを質問したりできるからだ。

ヤジディー教の新年の儀式が行われているイラク・ドホーク近郊ラリッシュの寺院で、ろうそくなどに火をともすヤジディー教徒の女性たち(2018年4月17日撮影)。(c)AFP / Safin Hamed

 今回の取材では、インタビューに答えてもらう弱い立場の女性や子どもを探す時や、彼らに私たちと打ち解けてもらいたい時など、多くの場面でスーザンさんの助けが不可欠だった。彼女のような擁護者による仲介は、こうした敏感な話題の取材では、極めて重要となる。スーザンさんは、暗い話題を明るさや温かさで包んでくれる、途切れることのない太陽の光のようだった。

 希望の光はもう一つあった。ほぼ、女性だけがテーマの記事を書く機会を持てたことだ。シリアの取材を遠方から3年以上、イラクに駐在して8か月続ける中で、私は男性の経験による、男性主体の話題に慣れてしまっていた。反体制派の主導者、政府当局者、専門家、学者、活動家、支援ボランティアなど、情報源の圧倒的多数は男性だ。

 2014年のヤジディー教徒迫害を機に生まれたささやかな肯定的変化は、ヤジディーの女性たちが、力強く主張するようになったことだ。その代表格は、ノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラド(Nadia Murad)さんだろう。だが、ドホークには、彼女のような勇気ある女性が大勢いる。ISの支配下にあったシリア北東部で5年を過ごし、わずか数週間前に帰還した若いヤジディー教徒のジャーナリスト、ナビン・ディネイ(Navin Dinnay)さんは、私に会った際、行動したくてたまらない様子だった。「早く話したい。言いたいことがたくさんあります。それにやるべき仕事も」。

 ディネイさんを含めた女性たちの勇気は、ほぼ女性だけが主題の記事を書く、まれな機会を私に与えてくれた。生還者や支援ボランティア、ジャーナリスト、医師、アナリスト、政府当局者といった女性たちが、今回だけはと、それぞれの話を語ってくれた。

2018年にノーベル平和賞を受賞したヤジディー教徒の人権活動家、ナディア・ムラドさん。ノルウェー・オスロで開かれた授賞式で(2018年12月10日撮影)。(c)AFP / Tobias Schwarz

 ISがシンジャルに侵略して、5年近くが経つ。ヤジディー社会が合意できることがあるとすれば、5年前に始まった恐怖の物語が、いまだに終わりを迎えていないということだ。「ジェノサイド(大量虐殺)は続いている」と、インタビューに答えた人たちは、口々に言った。

 どうすれば終わりにできるのだろう? あまりにも多くの人が行方不明になり、心をずたずたにされ、先祖代々住んできた村々を破壊されたというのに。どうすれば終わりにできるのだろう? 5年前、イラクの多数派コミュニティーに裏切られたシンジャルに住むヤジディー教徒は、再び同じ目に遭うかもしれないと案じているというのに。どうすれば終わりにできるのだろう? 内戦前の4分の1近い住民が、すでに国外に移住したというのに。ISがヤジディー社会を破壊するために行ったのは、奴隷化や大量殺りくだけではなかった。ISはシンジャルに住む少数派の社会を無理やりこじ開け、彼らを根元から引き抜き、数千年前から暮らしてきたこの国を、もはや安心して「故郷」と呼べなくなるような妄想を植え付けたのだ。

「私たちには、二度と起きないという保証が必要です。今のところ、そうした保証はされていません」と、ハサン医師は話す。「誰もが村から離れることを口にします。それはジェノサイドと同じことです。でも、とどまったとしても同じでしょう」

イラク・ドホーク県カンケにある避難民キャンプで暮らすヤジディー教徒の女性たち(2019年6月24日撮影)。(c)AFP / Safin Hamed

このコラムは、AFPバグダッド支局のマヤ・ジェベイリー(Maya Gebeily)記者が執筆し、2019年7月16日に配信された英文記事の後半を日本語に翻訳したものです。