【4月22日 AFP】赴任国が変わるたび、当初は完全なよそ者として衝撃を受けたことを、ふと口にしたり、自分でもしていたりしていることに気付く瞬間がある。

 東京ではその瞬間が数週間前に訪れた。着任して1年が経った頃だ。マスクを買おうかと、真剣に考えたのだ。

 中東で8年過ごした後、昨年ここに赴任した私は、出勤途中の人々の半数が白いマスクをしているのを見てうろたえた。夫と私は、日本式ニカブ(目を除いた頭部を覆うベール)だと冗談を言ったものだ。だがその時(数週間前)はインフルエンザがはやっていて、うつりたくなかった私は、マスクを買おうかと思ったのだった。

横浜でエスカレーターに乗るマスクをした男性(2018年11月22日撮影)。(c)AFP / Martin Bureau

 私はこれまで、いろいろな国で暮らしてきた。AFPだけでも、米国やイスラエル、レバノンに赴任したことがある。引っ越すたびに、その国ならではの驚きがあった。だが日本での驚きは、これまで以上に私の神経を刺激したことは確かだ。

 日本はこれまでずっと、中東とは全く違う道を歩んできた。はっきりとした違いもある。月並みだが、きちんとしている! 清潔! 礼儀正しい!

東京・銀座の駅通路を歩く女性(2019年3月18日撮影)。(c)AFP / Charly Triballeau

 だが両者の間には、思いがけない相違点と予想もしなかった類似点があった。それに驚き、興味を引かれた。

 その一つが、静けさだ。東京の人口は1300万人だが、ある夕暮れ時、私は都心の地下鉄駅に向かいながらふと考えた。もし目を閉じていたら、周りに何百人もの歩行者がいることには気づかないだろうと。彼らの存在を示す音はまったく聞こえなかった。手掛かりとなる香水やファストフードのかすかなにおいさえしなかった。

都内の施設「東京国際フォーラム」で待つ女性(2019年2月17日撮影)。(c)AFP / Martin Bureau

 このように大きな違いがあるにもかかわらず、ごく日常的なことが最も重要な意味を持つことがよくある。

 私の家族は皆、再び水道水をそのまま飲めるようになって大喜びした。幼い息子は、公園に行くと必ず水飲み場で喉を鳴らして水を飲んでいる。

 昨年のクリスマスには、8年ぶりにカードをやりとりすることができた。ようやくまともな住所を持ち、機能的な郵便サービスを利用できるようになった。

 うれしい半面、引っ越しは大抵、心が引き裂かれるようだった。5年暮らしたレバノンを離れることは、簡単ではなかった。

 私はレバノンとシリアで、素晴らしいジャーナリストたちとともに仕事をしてきた。私たちは強い絆で結ばれていた。アレッポ(Aleppo)の包囲や化学兵器攻撃からイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」によるおぞましい処刑に至るまで、あらゆる取材を行った。

 私たちは互いに支え合い、一緒に笑ったり食事をしたりすることで生き延びた。ただ単に同僚というだけでなく、友人でもあった人々に別れを言うのはつらかった。

東京にて(2016年10月撮影)。(c)AFP / Behrouz Mehri

 だから特に東京に来て最初の数か月間は、何かに驚き、それによってレバノンを思い出すことで自分を元気づけていた。

 例えば私の息子は、レバノンにいた時と同様、ここでもまったく知らない人からむやみやたらとかわいがられている。

 日本人は、ベイルートの人たちのようにいきなり息子にキスするようなことはない。だが、他人との交流は特別なことで、そうした習慣がないこの国で、人々が息子の手に食べ物やおもちゃを握らせるのを見て私は仰天した。

プラスチック製の料理サンプルを制作する会社「食品サンプルの畑中」の畑中紀人社長。埼玉県所沢市にある同社オフィスにて(2017年1月18日撮影)。(c)AFP / Toru Yamanaka

 どちらの国も素晴らしい料理に恵まれており、地元の名物料理や名産品に対しても、似通ったまっとうな誇りを持っている。日本人はレバノン人と同じように果物や野菜の旬を待ち焦がれ、時季が来ると買いに走り、舌鼓を打つ。

 もちろん、良い類似点ばかりではない。日本での女性に対する態度が、気がめいるほど中東と似ているのを知り、驚いている。

 日本の政界や実業界のトップは圧倒的に男性が多く、子育ては女性の領分だと見なされることも多い。また最近あった仕事関係のイベントでは、女性の接客係の数が、女性の参加者よりも多いことに気付いた。

都内を歩く会社員──女性は1人。うつむいて歩く人も(2008年11月17日撮影)。(c)AFP / Yoshikazu Tsuno

 もちろん、類似点の方が相違点よりも重要だと言うつもりはない。ベイルートではずっと、ごみ問題に悩まされた。路上にごみが積み上げられ、野焼きされ、有害な煙による大気汚染で家の窓は一年中閉めておかなければならなかった。

 一方の東京では、ごみ箱がなくても路上にはちり一つ落ちていない。人々はごみを家に持ち帰り、清掃員は通りをほうきで掃くだけでなく、広告掲示板の枠のほこりを払ったり、地下鉄の駅構内に掃除機をかけたりしている。

レバノンの首都ベイルートの北東にある町で、仮のごみ集積所の近くを手で鼻を覆って歩く女性(2016年9月1日撮影)。(c)AFP / Anwar Amro

東京・銀座の裏通りで、ごみを台車に載せて運ぶ飲食店の従業員(2019年3月18日撮影)。(c)AFP / Charly Triballeau

 停電が日常茶飯事の暮らしが何年も続いたため、24時間電気が使える日本の暮らしに慣れるのに数か月かかった。

 おそらく両国の最大の相違点は、安定感だろう。中東での5年間、暴動や反革命運動、内戦などを6か国で取材した。

 私が自分の仕事について中東の人々に話す時、彼らは本質的に理解してくれた。大半の人々は、似通った状況で生きてきたか、あるいは依然としてそうした状況にいたからだ。

 だが日本では違う。2011年に壊滅的な被害をもたらした津波など、自然災害が頻発しているこの国は、悲劇と無縁ではない。だが戦闘に関してはここ数十年、人々の懸念事項ではなくなっている。(私の話を聞くと)中東では、人々が共感の意味を込めて肩をすくめた。だが日本では、片方の眉を上げたり、はっと息をのんだりするため、私はこうした話題を避けるようにしている。

都心の満開の桜をボートに乗って観賞する人々(2018年3月27日撮影)。(c)AFP / Kazuhiro Nogi

 だからと言って、忘れてしまったわけではない。過去は時々、予期せぬ時によみがえってくる。

 東京にある私のマンションは、大きなジェットコースターのある遊園地の近くにある。ジェットコースターが猛スピードで頭上を通り過ぎると、車輪のごとごという音やビューッという音が、乗客の悲鳴とともに聞こえてくる。こうした音は、頭上を通過する戦闘機や、おびえて逃げ回る人々の叫び声に不気味なほど似ている。私は数か月間、この音を聞くたびに、心臓が止まりそうになった。

 だが中東と違って、少なくとも今のところは、本物の戦闘機の音を耳にする可能性は低い。私はある日、息子が興奮した様子で空を飛ぶヘリコプターを指さすのを見て驚いた。中東では、子どもたちが歓喜ではなく恐怖で航空機を見上げるのを何度も目にした。子どもたちは、武装ヘリコプターや戦闘機が何を運んでくるかを知っているからだ。

レバノン・ベイルートの繁華街で、下着店の前を歩く女性たち(2004年7月撮影)。(c)AFP / Joseph Barrak

東京・浅草の通りを浴衣姿で歩く女性たち(2018年7月3日撮影)。(c)AFP / Martin Bureau

 戦闘地帯の大半の人々とは違って、私は場所を移動する機会を与えられた。私が日本を選んだ理由の一つは、これまで何年も暴力や強制退去について報じてきたため、それらとは違う話を取材したいという思いがあったからだ。

 東京では、政治がほぼ存在しないのではないかと感じられることがある。私たちの記事一覧表にある重要なニュースは、世界第3位の経済大国である日本の景気の動向や、ラグビーW杯日本大会(Rugby World Cup 2019)や2020年東京五輪の開催に向けたスポーツ関連記事、数々の伝統芸術を誇るこの国の文化についてなどだ。

 職場でも、学ぶべき事柄がたくさんあった。名刺の正しい渡し方を覚えた。名前が相手に向くようにして上の角を持ち、軽く頭を下げて差し出す。だが、もっと難しいこともあった。

 中東の多くの地域では、報道官や閣僚にテキストメッセージやメッセージアプリ「ワッツアップ(WhatsApp)」で連絡を取ることを、私たちは何とも思っていなかった。だが日本は、ファクスが生き延びている数少ない国の一つだ。

 ニュース速報の到着を知らせるのは、ブーンというファクスの起動音だし、インタビューの依頼や登録は、ファクスでしか受け付けてもらえないこともある。

都心の地下鉄駅ホームで、安全確認を行った後に列車に向かって一礼する駅員(2016年10月12日撮影)。(c)AFP / Behrouz Mehri

 だが何より困難なのは、私に日本語の能力がまったくないことだ。私はこれまで、自分が話せない言語を使用している地域で暮らしたり仕事をしたりしたことが一度もなかった。
 
 オフィスでは、優秀な同僚たちを頼りにすることができる。だが閣僚の会見やニュース速報がテレビで放送されると、まるで日本語の理解力が魔法のように備わったかのようにテレビの前に立ってしまう。

 私は今のところ、保育園に通う息子を通して日本語の多くを習得している。

 その結果、3歳児の日常生活という状況以外ではほぼまったく役に立たない、「飛行機」「牛乳」「うんち」といったいくつかの言葉を覚えた。

 だがその中には、いつか役に立つものもあるのかもしれない。彼は最近、「マスク」という言葉を教えてくれた……。

都内のマンションの廊下を歩く女性(2018年6月19日撮影)。(c)AFP / Martin Bureau

このコラムは、AFP東京支局のサラ・フセイン(Sara Hussein)記者が執筆し、2019年3月26日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。