【4月14日 AFP】革命前の1950年代の米国車が依然として人気のあるキューバだが、共産党が支配するこの島国では、旧ソ連時代のサイドカーも長年人々に親しまれている。

 首都ハバナでは、さびついた遺物のようなものから、手入れの行き届いたものや新車同様のものに至るまで、往年のサイドカーが多数、通りを行き交っている。そうしたレトロな雰囲気は、観光客らを大いに引き付けているが、「ここではありふれた、当たり前の光景だ」とエンリケ・オロペサ・バルデス(Enrique Oropesa Valdez)さん(59)は話す。

 バルデスさんはサイドカーの運転教習指導員として生計を立てている。車間がほとんどない中を、ライダーたちが車体を絞るようにして通り抜けていくハバナの街で、いかにサイドカーを操れば良いか、教えている。

 飲食店を経営するアレハンドロ・プロエンサ・エルナンデス(Alejandro Prohenza Hernandez)さんによると、サイドカーは「とても実用的」だ。大切にしている30年前の赤い「ヤワ(Jawa)350」は、2番目の子どものようだという。

 旧チェコスロバキア製のヤワや旧東ドイツ製のMZ、旧ソ連製のウラル(Ural)やドニエプル(Dnieper)やジュピター(Jupiter)──米国による経済制裁のために他国より数十年後れを取っているキューバでは、行き交うサイドカーの車体に書かれたメーカー名も過去の世界のものだ。

 冷戦真っただ中の1960年代から1970年代にかけて、キューバ軍が国営工場や国営農場で使用するために兄的存在だったソ連から入手したこれらのサイドカーは、やがて一般大衆の手に届くようになった。

 ガソリンを大量消費する、シャークフィン付きの巨大な米国車よりも、サイドカーは安価で実用的で、家族を乗せたり荷物や資材を運んだりとさまざまに使用できる。

「写真を撮りたがる外国人がとても多い」と話すエルナンデスさん。「よく分からないが、何か別の時代のもののように見えるのかもしれないね」 (c)AFP/Katell ABIVEN