【4月1日 AFP】ニューヨークで初めてランチを買いに行ったとき、店員に怒鳴りつけられた。あのときは恥ずかしくて恐縮したが、ニューヨークを去る頃には自分も怒鳴るようになっていた。

 ニューヨークは人を変える。

 当時の私は、「フレッシュ・オフ・ザ・ボート(「船を降りたばかりの移民」)」ならぬ「フレッシュ・オフ・ザ・飛行機」状態で、中東・アフリカ・南アジアで計10年を過ごした後にやって来たこの街で、見るもの聞くものすべてに驚かされていた。

 ランチタイムで混み合う時間にデリに行って並んでみると、なんと卵サンドイッチだけで27種類あった。27!「マジで?」一体全体、卵をどのようにカットして混ぜたら27のパターンが出来上がるんだ。そんなことをぼんやり考え、注文にもたついた瞬間、男性店員がこちらに視線を向けた。

「おい、さっさと決めるか列から外れろよ!」と、カウンターの向こう側から怒鳴り声が飛んできた。

 私はすごすごと列を離れ、二度とその店には戻らなかった。

米ニューヨークにある「カーネギー・デリ」のライ麦パンを使ったパストラミサンドイッチ(2016年10月3日撮影)。(c)AFP /Getty Images/ Drew Angerer

 それから5年。ニューヨークを後にする私は、隣でつり革を握る通勤客に負けず劣らず短気になった。信号で数秒以上待たされる。歩道をふさいで、ちんたら歩く観光客。マウスのワンクリックで買える、ぼったくり価格のヨガパンツに自分にぴったり合うサイズがない。こうしたことに、いちいちむかっ腹を立てる自分がいる。

 スーダンやパキスタンに住んでいたときは、英国の知り合い皆から「かわいそうに」という目で見られていた。それがニューヨークに引っ越した瞬間、一変した。何年も会っていない友人や親族が突如、世界でも有数のエネルギッシュな街に集まり始めた。華やかで、ずぶとくしたたか、アドレナリン全開のこの街に比べれば、他のどんな場所も古くさくてやぼったく、そして恐ろしく動きが鈍く見えてしまう。そんなニューヨークに皆、ひかれて来るのだ。

 飛行機が苦手な私でも、マンハッタン(Manhattan)できらめく高層ビル群の上空から飛行機が降りて行くあの瞬間に飽きることはない。ニュージャージー州の殺風景な高速道路を過ぎるとすぐに(2001年9月11日の)米同時多発攻撃の跡地に建てられたフリーダムタワー(Freedom Tower)が見えてくる。復活と再生を象徴する建物だ。

米ニューヨーク・ロウアーマンハッタンの摩天楼の中にそびえるフリーダムタワー(2016年9月撮影)。(c)AFP / Saul Loeb

 ニューヨークはスピードの街だ。眠らないこの街で当てもなく過ごすのは時間の浪費、ひょっとしたら最悪の罪かもしれない。時は金なり。やるべきことは常に山ほどあるが、すべてをこなしている時間はない。

 信号が赤になった? ダッシュで突っ切れ。地下鉄が混み過ぎ? とにかく体を押し込んで、中の人たちに詰めるように叫べばいい。

 無名の一般人でも、米国で最も人口密度が高い場所を地球上でトップクラスの大富豪や天才、勝ち組と共有する機会に恵まれる。

着飾ってニューヨーク・ファッションウィークに出席する人々(2011年2月11日撮影)。(c)AFP / Timothy A. Clary

 最初にニューヨークに着いたとき、すぐ近くで(俳優の)ロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro)が映画を撮影していた。英国の著名作家マーティン・エイミス(Martin Amis)と、なじみのハンバーガー店が一緒だと興奮したこともある(会ったことはない)。

 その後ハーレム(Harlem)に引っ越したときは、最寄りのバス停が110番街だった。(ソウルシンガーの)ボビー・ウーマック(Bobby Womack)が歌にした場所だ。その先にはアポロシアター(Apollo Theater)があった。この劇場からは大勢の才能が世界に羽ばたいていく。

米ニューヨーク・ハーレムのアポロシアターで、マイケル・ジャクソンをしのび、ステージ上のマイクの横の椅子の上に置かれた帽子とサングラスと白い手袋(2009年6月30日撮影)。(c)AFP / Stan Honda

 インドア派の私でも、パーティーに行けば肩の触れ合う距離でセレブに接近する機会がある。例えば(スーパーモデルの)ナオミ・キャンベル(Naomi Campbell)…ゴージャス。(デザイナーの)ドナテッラ・ヴェルサーチ(Donatella Versace)…不気味。(歌手の)レディー・ガガ(Lady Gaga)…小さい。(「ヴォーグ(Vogue)」米国版編集長の)アナ・ウィンター(Anna Wintour)の凍るような視線が私の超絶ダサい緑のダウンコートの上でぴたりと止まったように見えたことも一度だけではない。

 米国に反感を持ち、否定的な見方をしようとする人たちには、いつもこう強調する。ニューヨークは米国の最良の面を表していると。寛容で、何事に関しても改める努力を怠らず、どこまでも楽観的で、排他的とは真逆の姿勢を取ろうとする。地下鉄の同じ車両の中でヘブライ語とアラビア語が飛び交い、耳をつんざくような音量でラップミュージックを流す若者がいれば、それを大目に見る小柄なおばあちゃんたちもいる。

 ここは、常に何かが生まれ変わっていく街だ。

米ニューヨーク・ロウアーマンハッタンのバッテリーパークシティーにあるワールドフィナンシャルセンターの鏡状の壁に映った女性(2011年2月24日撮影)。(c)AFP / Timothy A. Clary

 移民の玄関口の役目を何世代も担ってきた都市というだけあり、朝食にはイスラエル料理、ランチにはイエメン料理、そしてディナーには自宅のアパートまで中華料理のデリバリーを頼むこともできる。

 私が駐在している数年間に、学校の祝日としてイード・アル・フィトル(Eid al-Fitr、イスラム教の断食月「ラマダン(Ramadan)」明けの祭り)と春節(旧正月、Lunar New Year)が導入された。ユダヤ教の大祭日はもう何年も前に導入されている。

 クリスマスが近づくと、隣人のインド人たちはアパートのロビーにチョコレートが入ったアドベントカレンダー(クリスマスイブまで毎日カレンダーの小窓を開けていくと内側にチョコレートが入っている)を飾り、隣に住んでいる女の子は女性同性愛者でフェミニストとしてのメッセージを込めたリースをドアに付ける。12月には、クリスマスツリーだけではなく、メノラー(ユダヤ教の祭式に用いるろうそく立て)もほぼすべての公共の建物に置かれている。

1か月で4度目の「ノーイースター」(冬季特有の強風を伴う低気圧)に見舞われたニューヨークで、セントラルパークのボウ・ブリッジに積もった雪(2018年3月21日撮影)。(c)AFP / Timothy A. Clary

 ニューヨークでは、私の(英国)アクセントについて誰かに何か言われることはめったにない。数百万人のよそ者から成る人種のるつぼに受け入れられると、この街にいる以上、「よそ」から来たことは大して意味を持たなくなる。

 陳腐に聞こえるかもしれないが、そうした環境に身を置くと、他者を認める気持ちが強まってくる。誰かに「パートナー」と言われると、以前の私なら、仕事仲間か異性を想像したが、もうそんなこともなくなった。同時に、以前ならやり過ごしてきたことが許せなくなる場合もある。セクシュアルハラスメント(性的嫌がらせ)を告発する運動「#MeToo(私も)」の熱によって、昔の私なら「人生そういうものだからしょうがない」と受け流してきた不平等に目を開かされた。

 イラク、アフガニスタンとシリアで戦争取材をした後は何年も、体の曲線を露出していないか気になったが、今や、夏場にかろうじて股間が隠れるぐらいの短パン姿の人に目を留めることはほとんどなく、ズボンを着用せずに地下鉄に乗るイベント「No Pants Subway Ride(パンツなしで地下鉄に乗ろう)」も何とも思わなくなった。

米ニューヨークの地下鉄で行われたイベント「No Pants Subway Ride(パンツなしで地下鉄に乗ろう)」の参加者たち(2015年1月11日撮影)。(c)AFP / Timothy A. Clary

 狭い土地を大勢の才能ある人々と共有している動的なエネルギーは、人をもっと、もっと、と突き動かす。もっと成功したい、もっときたえたい、痩せたい、誰よりも情報通になりたい、かっこよくなりたい。そしてじわじわと、もっと裕福になりたいという欲が植え付けられていく。

 ニューヨークには、私の人生のかけらが集約されている。大好きだったエルサレム(Jerusalem)のサンドイッチ店の支店、アフガニスタン風ケバブの店、ギリシャ語が飛び交うレストラン、ロンドン生まれの美術品競売業者、セントラルパーク(Central Park)のツアーに参加してガイドから勧められてピザを味わうシリア人難民たち。

米ニューヨークのイーストリバー沿いで雪の中を犬の散歩をする女性(2007年3月16日撮影)。(c)AFP / Timothy A. Clary

 英国のタブロイド紙をにぎわせたイスラム過激派指導者アブ・ハムザ(Abu Hamza、別名アブハムザ・マスリAbu Hamza al-Masri)が、終身刑を言い渡されるのを見たのもニューヨークだった。ちなみにその直前、極めて冷静な女性判事が、裁判中にドーナツを一つ食べることを許可する場面も目撃した。

 そして2016年の大統領選。ヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)が二大政党初の女性大統領候補者の指名を受けるのを見たのも、自分の勝利にあぜんとしている様子のドナルド・トランプ(Donald Trump)が、男子学生の友愛会かと思うような似通ったいでたちで酔っ払っている支持者が埋め尽くした会場で勝利宣言を行うのを見たのも、ニューヨークだった。

 アメリカンドリームが──かなえるのがどんなに大変だとしても──いまだにニューヨークで生き続けているとしたら、世の常と同じく、表面はキラキラしていても、中身まで輝いているとは限らない。

米ニューヨークのグランド・セントラル駅(2018年8月3日撮影)。(c)AFP / Timothy A. Clary

 地下鉄は危機的な状況だ。あのラッシュアワー通勤が懐かしくなることはこれから先もないだろう。おまけに、プラットホームで人の排せつ物を見たことだってある。

 ここでは悲しいほどお金がものをいう。時には信じられないほどの値段が付いているものもある。マンハッタンで生き残れるのは超富裕層だけになりつつあり、私たち庶民は遠い郊外から長時間通勤を強いられる。

米ニューヨークの42番街の路面店のウインドーに反射するクライスラービル(2018年8月3日撮影)。(c)AFP / Timothy A. Clary

 慢性化したホームレス問題、オピオイド系鎮痛剤の過剰摂取による死者数増加、医療・教育・住宅における人種間格差。いずれの問題も、どういうわけか人々の関心は薄い。

 私はこれまでの貯金を頭金にして、猫の額ほどのアパートを思い切って買ったが、それでも時々は部屋を貸し出し、以前なら気軽に出費していた「ぜいたく」をするための費用を捻出しなければならなくなった。

米ニューヨーク証券取引所のトレーダーたち(1997年12月12日撮影)。(c)AFP / Timothy A. Clary

 欧州に比べてリサイクルは何光年も遅れている。蒸し暑い夜になると、積み上げられたごみからは、(パレスチナ自治区)ガザ地区(Gaza Strip)の浜辺か(イラクの首都)バグダッドの下水のような悪臭が漂ってくる。道路は穴だらけだ。

 この国で民主党と共和党が同意することが一つだけあるとしたら、それはニューヨークの空港が発展途上国レベルということだろう。

 ここにいた5年間で多くのセレブがこの世を去ったが、自然死ではなく薬物の過剰摂取と自殺によるものだった。2014年には、子どもが6人いる黒人男性がたばこの違法販売容疑で拘束された際に警察官に背後から首を絞められて組み伏せられ、亡くなった。

 際限なく刺激がある街にいると、時には完全にいかれた状態にも至る。雪が降っている日に、建物の管理会社がエアコンの温度を下げてくれないせいで、住民たちがサハラ砂漠のような灼熱(しゃくねつ)地獄から逃れようと、窓を開けるかエアコンをぶったたいている街なんて、そうはないはずだ。

 そして市政も常にめちゃくちゃ。

 夏には、今日は危険な暑さになりますと、次々に警報が出される。雨が降れば、鉄砲水の緊急通知で携帯電話がブンブンうなり、冬になれば、アルマゲドンならぬ「スノーマゲドン」がやって来るというこの世の終わりのような大雪警報に住民たちは買いだめに走り、家に引きこもってシリーズもののドラマを一気見する。

冬の嵐「ステラ」に見舞われた米ニューヨークで降り積もった雪(2017年3月15日撮影)。(c)AFP / Timothy A. Clary

 この2年は、米国のリベラル派が集団ノイローゼになった期間でもあった。米国を世界一と考えるのはリベラル・保守層を問わないが、そんな国の大統領の座にトランプが就いたショックをリベラル派は今も引きずり、不安におののき、現実を受け入れられずにいる。

 しかし、その陰で人々がほとんど認めようとしないのは、トランプもニューヨーカーの一人であることだ。好き嫌いはさておき、トランプは紛れもないニューヨーカー、1980年代の傲慢(ごうまん)なニューヨークの権化のような人物だ。

 これまでトランプのくだらない離婚劇やカジノ経営の大失敗と破産をばかにしてきたマンハッタンのエリート層にとって、トランプに支配権を握られたことはまさに平手打ちのような衝撃だった。

 トランプが描く米国のビジョンは、ニューヨークが象徴しているものとは正反対だ。トランプが何かを表明するたびに、議員もテレビのトークショーの司会も俳優もミュージシャンも右往左往する。タフなウォール街(Wall Street)の人々ですら神経をとがらせる。

眠らない街で一息。米ニューヨークのタイムズスクエアで夏至を祝って例年行われる第15回タイムズスクエア・ヨガ大会に参加する人々(2017年6月21日撮影)。(c)AFP / Timothy A. Clary

 地方分権化した米国の中でもこれほど大きくパワフルな街であれば、連邦政府の影響で傾くことはほとんどない。観光客は途絶えず、ブロードウェー(Broadway)は一段と盛り上がりをみせている。ここにある問題のほとんどは、トランプ政権以前からあったものだ。

 それでも、移民の摘発は現実に起きている。表向きのニューヨークとは異なるパラレルワールドには、不法就労者が大勢暮らしている。憎悪感情が増加し、イスラエル以外ではユダヤ人の人口が最も高い(全体の13%)この街で、シナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)が破壊されている。

 米国人の友人たちに、ニューヨークと米国はトランプ政権の時代を生き抜けると思うと話すと、皆、それはどうだろうと不安げな顔をする。米国例外主義と米国人の取りえだったあふれる自信も今や瀕死(ひんし)の状態だ。

 ニューヨークを去る今、記憶に残るのは、まばゆいばかりの多様性を持つ一般のニューヨーカー、そして取材を行った大物たちだ。アメリカンドリームをかなえた人々、ファッションデザイナーのラルフ・ローレン(Ralph Lauren)やトミー・ヒルフィガー(Tommy Hilfiger)。米マイクロソフト(Microsoft)の立役者であるビル・ゲイツ(Bill Gates)──ホテルのバスルームは私のアパートより広かった。映画から抜け出して来たかのような被告側の弁護人たち。子どもに良い暮らしをさせるために骨身を惜しまず働く移民たち。

米ニューヨークで、雨の日のクライスラービル(2018年8月13日撮影)。(c)AFP / Timothy A. Clary

 何よりもまずニューヨークは、身の程を知らされる街だ。自分は世界の王だと思った次の瞬間には吐き捨てられる。

 パーティーで(歌手の)リアーナ(Rihanna)を偶然見掛けたり、20代かそこらで新作ミュージカルを発表した作曲家にインタビューをしたり、クリスティーズ(Christie’s)で自分の生涯賃金を上回るような額で美術品を競り落とした童顔の大金持ちに足を踏まれたりした後で、地下鉄に乗ってむさ苦しいわが家に帰るとき以上にやるせなさを感じることはない。

 それでも、自分が暮らした街でニューヨーク以上に素晴らしい所はない。きっとこれからも、私はそう思うだろう。

米ニューヨークで、夕焼けに浮かぶ「自由の女神像」(2016年3月8日撮影)。(c)AFP / Jewel Samad

このコラムは、中東、南アジア、アフリカに駐在し、5年間ニューヨークを拠点とした後、パリ駐在員となったジェニー・マシュー(Jennie Matthew)が執筆し、1月7日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。