【12月21日 AFP】フランスで続く反政府デモ「ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト、gilets jaunes)」は12月に入った週末の首都パリで、その暴力性と自然発生的な広がりによって皆を驚かせた。デモを取材したフォトグラファーたちもその例外ではなかった。

 12月1日に取材を行ったパリを拠点とするフォトグラファー、アラン・ジョカール(Alain Jocard)、ジョフロワ・バン・デル・アセルト(Geoffroy Van der Hasselt)、リュカ ・バリウレ(Lucas Barioulet)の3氏は、あらゆるところで暴力が一斉に爆発したようだったと記している。

【アラン・ジョカール氏】

 何の前触れもなく突然、暴力が爆発し、それもあらゆるところで一斉に起きたように見えた。ジレ・ジョーヌ運動はその点で、私がこれまでパリで取材してきた大規模なデモと一線を画している。他のデモではまるで皆が従う台本があるようだが、ここにはない。この抗議運動自体がそうであるのと同じように、暴力もまたどこからともなく出現したかのようだった。

 あらゆる年齢層の人々を目にした。彼らの多くはマスクを着けていなかった。彼らはデモに来て、暴力に巻き込まれてしまったのだと思う。それから「カスール」もいた。大まかに英語に訳せば「暴漢」といった意味だが、彼らは文字通り壊し屋で、パリで大きなデモがあると最大限の破壊行為に及ぼうとして出現する人々だ。

 カスールの方が簡単に見分けがつき、まとまりがあった。だが今回驚いたのは、いくつものバリケードが連続して築かれていたことだ。警察にバリケードを壊されてから、次のバリケードを作るのではない。今回は一つ壊されても、その後ろにすでに築いてあるバリケードに後退するだけだった。これで警察はなかなか前へ進めず、その間にカスールは再編成し、どこか別の場所を破壊しに向かうのだった。バリケードの番をしているのは大抵、カスールではなく普通のデモの参加者だった。警察の催涙ガスを最もまともにくらっていたのは彼らで、目に付く物ならとにかく何でも警察に投げつけているようだった。

(c)AFP / Lucas Barioulet

 写真を撮影することには全く問題はなかったが、1回だけ、何かに火をつけようとしていた集団を撮影したときに襲撃されそうになった。彼らは私の後をつけてきたが、やがて何かに気を奪われて、私はその間に走って逃げた。

 デモの取材をしていて、これほどたくさんの場所へ行かなければならなかったことは初めてだと思う。これまでのデモだったら大体600人程度のカスールの集団がいて、一斉に警察を攻撃しては、また次の攻撃のために集まり直すことを繰り返していた。だが今回は、集まり直すということがなかった。彼らはただひたすら、どこにでもいるようだった。これは私の仕事をより難しくした。フォトグラファーとしては「象徴的な」写真をいかに撮るか、デモ全体のストーリーを語るような写真をいかに撮るかを、常に考え続けている。だが今回は新しい衝突が起きるたびに、そこへ駆けつけなければならなかった。熟考している時間など大してなかった。

(c)AFP / Alain Jocard

 どうにかして何枚か、良い写真を撮ることができた。抗議の参加者たちが着るベストと同じ黄色のペンキをかぶった警官隊や、燃え上がる車両が並ぶ路上に立つ消防士などだ。これらの写真は今回の状況を見事に要約していると思う。

(c)AFP / Alain Jocard

(c)AFP / Alain Jocard

【ジョフロワ・バン・デル・アセルト氏】

 他のフォトグラファーたちと私は、朝8時にAFP本社で待ち合わせることにした。デモが始まるのは午後2時以降のはずだったから、ゆっくり出かけても十分時間があると我々は思っていた。ところが8時半に最初の逮捕者が出たという情報が入ってきた。我々の物見遊山は、たちまち全力疾走に変わった。

 私が担当することになったのは、シャンゼリゼ(Champs Elysees)通りの南東側だった。最初に撮ったのは散歩をする家族連れや、ジョギングをする人たちだった。凱旋(がいせん)門(Arc de Triomphe)に近い北西側の半分で起きている衝突とは、鮮やかなほど対照的だった。

 正午ごろに凱旋門の方へ近づいて行った。黄色いベストを来た集団は脇道にいて、通りの中央は大勢の平和的なデモ隊が占拠していた。閃光発音筒(スタングレネード)や催涙ガスは尽きないようだった。

(c)AFP / Geoffroy Van Der Hasselt

 パリやその他さまざまな場所で多くのデモを取材してきたが、今回のデモの規模と長さには驚かされた。それからデモでは通常、暴力は1か所で集中して起きるものだが、今回はあらゆるところで爆発しているようだった。まるで革命みたいだな、とつぶやいた。

 私が目にしたデモの参加者の多くが、全く怖がっていなかった。彼らは「カスール」のようには見えなかったし、マスクも着けず、催涙ガスから顔を守るスカーフをしているだけの人が多かった。

 忙しく動き回り、ありったけの破壊活動をしている人がいる一方で、状況を落ち着けようと試みている人たちもいた。ビクトル・ユーゴー通り(Victor Hugo Avenue)では、3人の男が外交官ナンバーを付けた車を破壊していて、その次に車体を倒しやすい「スマート(Smart)」を転がしにかかった。彼らはデモの他の参加者にも手伝うよう声を掛け、皆はそれに従った。別の場所では一つのグループが、花屋に置かれているクリスマスツリーを燃やそうとし、そんなことをしたらビル全体が火事になると言って反対する人々と口論になっていた。

(c)AFP / Geoffroy Van Der Hasselt

 本当に多くの人がマスクを着けていなかったことに驚いた。車に放火しているような男もだ。顔をさらしたままそんなことをするのは、ばかげていると私には思えた。

 写真を送信しようとして、ガラスを割られたバス停に座っていると、ピンク色のキックスケーターに乗った男が止まって話しかけてきた。ちょっと前に彼を撮った写真を本人に見せたが、彼はそれが自分だとは認めなかった。

(c)AFP / Geoffroy Van Der Hasselt

【リュカ ・バリウレ氏】

 催涙ガスが一斉に発射されるのを見たのは、午前9時ごろだった。長い1日になるな、と思った。

 デモの取材では、デモ隊の側にいて撮影するのが好きだ。その方が彼らの気持ちをよく理解できる。それにそちら側にいた方が、最悪でも鎮圧銃しか当たらない。もしも警察の側にいたら何が飛んでくるか分からない。

(c)AFP / Lucas Barioulet

 夜になり、気付くと私は警察の側にいた。催涙ガスの壁の中に姿が隠れてしまったデモの参加者たちは小石だの何だの、とにかく目に付く物を片っ端から投げていた。機動隊が何かが当たった同僚を一人、また一人と道路脇に寄せるのが見えた。ヘルメットを脱いだ機動隊員たちは、疲れ果てた顔で茫然(ぼうぜん)としていた。

(c)AFP / Lucas Barioulet

 私が見た限り、デモの参加者のほとんどは普通の人々、普通の労働者、普通の父親のようだった。彼らは暴力的な展開で身動きできなくなってしまい、一方、20代前半の若者が多くを占めるプロのトラブルメーカーといえる「カスール」たちは動けていた。

 デモの参加者の敵意を感じたこともあったが、暴力に発展することは全くなかった。何人かからは、後で逮捕されたくないのでデモ中の写真は撮らないでほしいと頼まれた。他の参加者は非常に親切だった。バリケードの脇に立ち、私はエナジーバーを、彼らはビールとサンドイッチを手に一緒に食事をする場面もあった。デモ自体のこと以外は、ありとあらゆることを話した。

(c)AFP / Lucas Barioulet

 常に騒音だらけだった。これは動画でもなかなか分からない。8時間にわたって催涙ガスの発射音、鎮圧銃の発砲音、閃光発音筒の爆音、そして叫び声が響いていた。だが、最も驚きだったのは、デモ隊と警官隊が対峙(たいじ)する直前の瞬間だった。彼らは嵐の前の静けさのように沈黙した。そして一気に爆発した。

 今回のデモはまとまりがなく、それが取材を難しくした。他のデモとは違って「前線」とみなし得る場所がなく、あらゆるところで一斉に起きていた。例えばデモを上から撮ろうとして建築現場にあったはしごを登ったのだが、私が降りてから10分後にはもう、そのはしごは炎に包まれていた。

(c)AFP / Lucas Barioulet

このコラムは、仏パリを拠点とするフォトグラファーのアラン・ジョカール、ジョフロワ・バン・デル・アセルト、リュカ ・バリウレの3氏が、AFPパリ本社のピエール・セレリエ(Pierre Celerier)記者と共同執筆し、ヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者が英語へ翻訳、2018年12月6日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。