【12月31日 AFP】インドのサバリマラ(Sabarimala)寺院。はだしで丘の上を目指し、重い足取りで歩く大勢の人々──大半は男性──の中に私もいた。猿が頭上の枝を伝いながら金切り声を上げる。このときのために履いていたバスルーム用スリッパに心の中で悪態をつきながら、観光客を装っていることがばれませんように、と祈っていた。

インド南部ケララ州のアイヤッパ神が祭られたサバリマラ寺院への道沿いに現れる猿。(c)Bhuvan Bagga/AFP

 まさか自分が、インド南部ケララ(Kerala)州にあるヒンズー教寺院を目指して歩くとは思ってもみなかった。ここは、アイヤッパ神(Lord Ayyappa)をあがめている特に信心深い人々だけが訪れる巡礼路だ。

 ヒンズー教には、宗教的慣習について記した単一の聖典や権威が存在しない。そのため、ヒンズー教の慣習や信条は地域ごとに異なっており、三大神が存在する点だけが共通している。だからこそ、ニューデリー出身のヒンズー教徒である私は、自分がそれまで従ってきた慣習とはかけ離れている寺院を訪ねるために、3000キロ以上もの距離を旅する日が来るとは夢にも思わなかったのだ。

 この日は、急な上り坂を歩きながらスリル満点の冒険を何時間も味わい、何とかベースキャンプにたどり着いた。ケララ州は、自然が手つかずのまま残されているビーチや尾根、アーユルベーダ療法が盛んな地としても有名だが、この数日間は、緊迫した空気に包まれていた。理由はインドの最高裁にあった。10~50歳の女性たちは、この丘の上に立つ神聖な社への参拝を禁じられてきたが、最高裁がそれを無効とする判決を下したのだ。これに対し、信者や地元のヒンズー教団体が過激な抗議活動を展開し、私はその騒乱を取材するためにこの地にやって来たのだった。

 最高裁の判決をめぐり、信心深いヒンズー教徒と女性の権利活動家らは真っ向から対立した。大半のヒンズー教寺院は、女性の立ち入りを認めている。活動家らは、サバリマラ寺院の「女人禁制」は、月経のある女性は不浄だという古い考えに基づくものだと主張した。

 女性の権利活動家らは判決に喝采したが、伝統主義者らは激怒した。

インド最高裁がサバリマラ寺院への全女性の参拝を認める判決を下したことに抗議するヒンズー教右派の超国家主義団体「ヒンズー・セナ」のメンバー。ニューデリーで(2018年10月4日撮影)。(c)AFP / Chandan Khanna

ヒンズー教のアイヤッパ神をまつるサバリマラ寺院への女性の立ち入り禁止を無効としたインド最高裁の判決を受け、南部ケララ州のニラッカルで警官隊の制止に抗議する信者と活動家(2018年10月17日撮影)。(c)ARUN SANKAR / AFP

 前日の10月17日。私は同僚のアルン・サンカール(Arun Sankar)と、女性のフォトジャーナリスト兼ビデオジャーナリストのアルチャナ・ティヤガラジャン(Archana Thiyagarajan)と一緒に、寺院への最後の上り行程の手前にある2か所のベースキャンプのうち1番目のニラカル(Nilackal)に到着した。

 バス、車、軽トラック、または徒歩で大勢の信者が次々到着し、ピリピリした空気が張り詰めていた。

 信者の大半は年配の女性や幼い女児を連れた男性たちだったが、素性も国内の出身地もばらばらの人々が、ヒンズー教の神をたたえる歌を唱和しながらニラカルを通過して行く。

 暴徒鎮圧用の装備を着用した大勢の警察官が厳しい監視の目を注いでいるのは、せいぜいカラフルで活気とまとまりのあるカオス、と言える程度だった。

インド最高裁がサバリマラ寺院への全女性の参拝を認める判決を下したことに抗議するヒンズー教の信者や活動家の警備にあたる婦人警官ら(2018年10月17日撮影)。(c)AFP / Arun Sankar

 この数年間、インドでさまざまな暴動、もしくは暴動に近い状況を取材してきた記者である私にとっての問題とは、もしも事態の収拾がつかなくなったら、ではなく、事態の収拾がつかなくなるのはいつ、どのようにして起きるのか、だった。

 それから間もなくして、私たち3人は最初の兆候を見て取った。上り坂に入る前に車でアクセスできる最後のベースキャンプ、パンバ(Pamba)に近付いたときのことだ。

 私たちのタクシーが、突然、十数人の男性たちに取り囲まれた。何人かはボンネットをばんばんたたきながら、アルチャナの方を指さしていた。アルチャナに降りろと言っている。たとえ記者でも、10~50歳の間の年齢の女性をパンバに行かせるわけにはいかないというのだ。

 女性の権利活動家がこっそり紛れて、寺院の上までたどり着いたと聞いた、と言い出す人もいた。そんなことが起きるのを許すわけにはいかないという。

 そうこうするうちにいっそう不穏な空気が漂い始めた。さらに多くの信者がタクシーの周りに集まって来たのだ。襲われるかもしれないと、私たちは本気で不安になった。

 アルンと私はタクシーから降り、拝むように手を組んで、私たちを通してほしいと懇願した。らちが明かないため、アルンが徒歩でアルチャナを安全な場所まで送り届けることにして、私はその間、タクシー運転手に協力しながらUターンする方法を探った。

 道の少し先では、別の女性記者が暴徒に襲われ、車も破壊されたことが分かった。

 一か八かで突破してみるわけにはいかなかった。タクシー運転手も、車が傷つけられる前に戻りたがっていた。アルチャナの任務は、こうして突然、予期せぬ形で終了した。

インド南部ケララ州のアイヤッパ神が祭られたサバリマラ寺院付近で、参拝を拒まれ、防護装備を着用した警察官らと歩く活動家のレハナ・ファティマ氏(中央、2018年10月19日撮影)。(c)AFP

インド南部ケララ州のアイヤッパ神が祭られたサバリマラ寺院付近で、参拝を拒まれ、防護装備を着用した警察官らと歩きながら親指を立てる活動家のカビッタ・ジャカル氏(中央、2018年10月19日撮影)。(c)AFP

 私は記者として、インドのさまざまな場所で誰かが攻撃されるのを目撃したり、自分が巻き込まれたりすることはあったが、女性記者が排除されるのは初めて目にした。

 アルチャナが危機を脱すると、アルンと私は、信者がぎっしり乗っているバスでパンバを目指すことにした。

 その頃には、いよいよ緊迫感がみなぎっていた。信者ばかりの中で、私たちの存在はすぐに目を引いた。記者なのかと口々に聞かれるので、私たちは、その通りだと渋々うなずいた。幸運なことに、私たちは少なくとも女性ではなかった!

 バスがほとんど動かないまま30分ほど経過すると、外で悲鳴が上がった。

 何かが起きた。

インド最高裁がサバリマラ寺院への全女性の参拝を認める判決を下したことへの抗議行動中、ヒンズー教の活動家を拘束する警察官(2018年10月17日撮影)。(c)AFP / Arun Sankar

 窓から外を見ると、顔を血だらけにした若者が、道の一方の側から反対側へと走っていた。その後をすぐ、石を手にした数十人の男性たちが渡って続いて行く。

 何が起きているか、私はすぐに悟った。似たような場面なら過去に何度も見たことがある。私たちは、警察と信者の本格的な衝突の真っただ中にいた。両者は投石し合っていた。

 バスに乗っていた全員が床にしゃがみ込んだ。勇気のある何人かは、携帯電話を取り出して衝突の様子を記録していた。

 バスには4~5人の女性と50人前後の男性が乗っていたが、誰一人として、警察にも記者にも共感を示すそぶりは見せなかった。彼らにとっては、神聖な伝統に横やりを入れる目障りな存在でしかないからだ。

 アルンと私は、衝突の現場に近付くためにバスを飛び降りた。

インド・ケララ州で、抗議行動の参加者と衝突する警察(2018年10月17日撮影)。(c)AFP / Arun Sankar

インド・ケララ州で、抗議行動の参加者と衝突する警察(2018年10月17日撮影)。(c)AFP / Arun Sankar

 その後の30分間、緊張感は最高潮に達した。私たちは警察と信者、両方からの投石をかわし、飛んでくる物に当たらないよう走って警察の非常線にたどり着いた。

 それから数時間は、警察と信者が衝突する様子を見ていた。警官を攻撃した容疑で数人が逮捕された。

 幹線道路はもはや危険だった。怒りにわれを忘れた信者たちが、記者や当局の車を襲っているといううわさも流れてきた。そこで私たちは数時間ほど、ガソリンスタンドで警官の一団と一緒に過ごした。幸運にもネットのアクセスは良好で、私たちは写真と記事を編集部に送ることができた。

インド・ケララ州でサバリマラ寺院行きのシャトルバスと道端に立つ警官ら(2018年10月17日撮影)。(c)AFP / Arun Sankar

 私たちがホテルに戻る頃には真夜中になっていた。地元のヒンズー教団体は、翌日の巡礼路の全面封鎖を要求していたが、私たちは寺院までのぼって行く計画だった。

 翌朝早く、アルンは寺院に向かって出発したが、私は封鎖に関する記事を提出するために待たなければならなかった。私たちが雇っていたドライバーは、近隣のホテルにいる他のドライバーと同じく、安全な駐車場を出発することを拒んだ。通りには人っ子一人いない。外出禁止令が出されているかのようだった。パンバまで取材しに行くには約60キロの距離があるが、道路に車は一台も走っていなかった。

 さらに困ったことに、私が履いているのはバスルーム用のスリッパだった。自身がアイヤッパ神の敬虔(けいけん)な信者でもあるアルンに、丘をのぼって行く間は靴を履かないように言われたからだ。それならば他の信者の中にいても、それほど目立つことはないだろうとのことだった。寺院周辺には靴箱などなく、スリッパならば、寺院の中にいる間に靴を盗まれる心配はなかった。スリッパは理にかなった選択肢に思えた。足もある程度は保護してくれるし、コンパクトなので必要とあらばしまいやすい。

 とりあえず、歩き始めるより外になかった。2キロほど歩くと、道路をふさいで抗議活動をしている人々にたちまち取り囲まれた。私は文字通り、尋問を受けた。おまえは誰だ。なぜ、ここにいる。どこに行くつもりだ。私が記者だと名乗ると、敵意をむき出しにする人もいた。彼らにとってメディアは、事態を公平に伝えず、彼らの伝統について「生半可な知識で口出しする」部外者に肩入れする存在だった。

インド・ケララ州でサバリマラ寺院に通じる道路を封鎖するヒンズー教の活動家ら(2018年10月19日撮影)。(c)AFP / Arun Sankar

 彼らの一人に携帯電話を取り上げられそうになった。私が誰かを撮影しているのではないかと思われたのだ。だが運よく、その中にいた大柄な男性が間に入ってくれ、300メートルほど先にある次の安全な交差点まで歩いて送り届けてくれた。

 そこからできるだけ急いで歩いていると、スクーターに乗っていた地元住民が、少しだけなら乗せてあげるよと声を掛けてくれた。スクーターから降ろしてもらうと、次に出会ったのが、スメシュ・パイク(Sumesh Paik)さんだった。礼儀正しい、話好きな地元住民で、よそから来た人に力を貸したいと言った。そこから数キロ一緒に歩いてくれ、次に往来の途絶えた交差点を警備していた地元の警察官、N・B・サシ・クマル(N.B Sasi Kumar)さんのところへ私を送り届けてくれた。

 クマルさんは、この日の朝に出会った全員と同じ質問をした。なぜ身の危険を冒し、外出禁止令が出されているような状態の地域を出歩いているのか。最初の道路封鎖地点での教訓を生かし、私はこう答えた。私は観光客なんですけど、友人と一緒に寺院に参拝するつもりだったのに、友人の方が先に向こうに着いてしまっているんですよ。

 彼はヒッチハイクに協力してくれ、私はある一家の車に乗って数キロ先で降ろしてもらった。そこで出会ったのは、抗議運動に参加している、オートバイに乗った若者だった。礼儀正しい男性で、「サバリマラ寺院にお参りしたがっているデリーから来た観光客」に喜んで協力してくれた。

インド南部ケララ州でアイヤッパ神が祭られているサバリマラ寺院を参拝する信者ら(2018年10月18日撮影)。(c)AFP / Arun Sankar

 寺院を目指す巡礼者向けのバスターミナルにまっすぐに案内する代わりに、彼がまず連れて行ってくれたのは、近くで行われている抗議運動の現場だった。そこでは数百人がアイヤッパ神のマントラを唱えながら、車の往来が消えた通りで行進していた。

 彼のバイクの後ろに座って私が笑みを浮かべていると、人々は、自分たちの伝統を変えようとする試みに反対するシュプレヒコールを上げた。

 バイクの若者は私に主張した。ヒンズー教の女性たちには、いかに多くの自由が認められているか──実際、礼拝や大きな宗教儀式の多くも女性たちが執り行っている、サバリマラ寺院が女性の参拝を禁じているのは、ミソジニー(女性への嫌悪や蔑視)のせいではなく、昔からの習わしだからだ、と。

 彼は最後に私をバスターミナルで降ろしてくれた。別れる前に私たちは抱擁を交わし、セルフィー(自撮り)もした。

インド最高裁がサバリマラ寺院への全女性の参拝を認める判決を下したことへの抗議行動に参加するヒンズー教の信者や活動家ら(2018年10月17日撮影)。(c)AFP / Arun Sankar

 バスターミナルにたどり着いた興奮と喜びは、数百人もの信者が数台のバスに乗り込もうとしてごった返している状態を目にしたせいで、すぐにしぼんでしまった。

 私は何とか1台のバスに乗り込み、運転手の横の床の上に体を押し込んだ。

 バスは満員で、大部分がはだしで上半身裸の男性たちだった。大半の人々が「イルムディ」と呼ばれる、神々への象徴的な供え物を包んだ布を頭に乗せるか、肩から提げている。

 これほど居心地の悪い思いをしたことはなかった。バスに乗っていた私は、人々にじろじろ見つめられ、何のためにここにいるのかと聞かれた。襲われたり、バスから放り出されたりすることを恐れ、質問してくる相手には誰彼かまわず、私は観光客なのですと話した。

 それから数時間。ようやくパンバに到着した。ここから先は、3時間の徒歩による登山が待っている。

インド南部ケララ州で、アイヤッパ神が祭られているサバリマラ寺院にかごに乗って参拝する信者(2018年10月18日撮影)。(c)AFP / Arun Sankar

 歩き始めて5~10分もすると、でこぼこで、ところどころしか舗装されていない坂道をのぼるには、バスルーム用スリッパはほとんど役に立たないことが分かった。

 私は、数万人の巡礼者の一人になっていた。30分もしないうちに、私は道端で激しく息を切らせていた。

 私は、神に身をささげる信者の敬虔(けいけん)な気持ちについて、そしてもしかしたら、この丘をのぼるのに必要とされる体力についても、甘く見ていたのかもしれない。幼い女の子たちも見掛けたが、多くの場合、父親や祖父母と連れ立った少女たちは、アリのようなペースで進む私をあっと言う間に引き離して行った。

 道中、新鮮な果実やジュース、軽食を提供している小屋で私は腰を落ち着け、大勢の巡礼者と言葉を交わした。

 インド人として、私が最初に目を見張ったのは、多様性だった。ここには、さまざまな社会経済環境を背景とする人々がいた。エンジニア、大規模農場の労働者、運転手、政府の職員、医師。彼らは皆、似たような服を着て、共に座り、同じ言葉を詠唱していた。

 インドという国は、社会がさまざまに区分されていることで知られているが、彼らは全員一つになり、自分の周りの人々を対等に扱っていた。

 大半とまではいかなくても多くは、この寺院への女性の参拝を認める判決に反対する人々について言い表される過激なイメージには合致しなかった。彼らの多くは、自分たちは誤解されている、自分たちの伝統は、知識のない人々によって間違って説明されている、と訴えた。

インド南部ケララ州で、アイヤッパ神が祭られているサバリマラ寺院に徒歩で参拝する信者(2018年10月18日撮影)。(c)AFP / Arun Sankar

 中には、メディアに対するものを含めた怒りや攻撃を正当化する人もいた。

 人々が反論として共通して口にしたのは、ヒンズー教と、インドにおける他の主要宗教であるイスラム教とキリスト教の扱いに差があるということだった。

 巡礼初体験の私にとって数百人の人々が(数千人とは言わないまでも)、無限に続くアリの行列のように、同じ聖歌を詠唱しながら狭い道をのぼっていく光景は、催眠術にかけられたようだったというのはオーバーにしても、圧巻ではあった。

 私は数十匹もの猿や、野生のリスやブタ、野鳥に目を留めながら、ほぼ3時間かけて丘をのぼり切った。

インド南部ケララ州にあるサバリマラ寺院に通じる長い上り坂。(c)AFP / Bhuvan Bagga

 はだしで何時間も歩いたのは、今回がほぼ初めてだったが、私はそれからまた、すっかり暗くなった長い山道を下りながら、行きと同じような冒険の旅を繰り返してホテルに戻った(到着したのは真夜中ごろだった)。

 ここまで痛めつけられたことがない私の足は、かゆくて、腫れ上がり、汚れていた。ようやくホテルにたどり着くと、バケツに湯とシャンプー(ホテルにはこれしかなかった)を入れ、1時間ほど、その中に足を浸した。もっと長いこと足を漬けていたかったのだが、極度に疲労していて、それ以上は座っていられなかった。

 丘の頂上にあるサバリマラ寺院は、他の多くの古代ヒンズー教の巡礼地と同じく、見事な景観を味わうためだけにあるような眺めだった。

 小さく、金色に光る寺院の外観は、見渡す限り一面の緑の丘でひときわ目立っていた。

 ヒンズー教で歴史上、多くの有名な神秘主義者が輩出されてきたのは、おそらく、こうした巡礼地が圧倒的な静けさをたたえていることも理由なのかもしれない。

 ここで、大勢の信者が並んで神をたたえる歌を詠唱している中に交じって立っていると、この場所が今、文化と宗教が真っ向から対立し、国内各地で政治的緊張を招いている震源地であることを危うく忘れてしまいそうになった。

頂上にたどり着いた筆者。(c)AFP / Bhuvan Bagga

このコラムは、ニューデリーを拠点とする記者ブバン・バッガ(Bhuvan Bagga)が執筆し、2018年11月15日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。