「記憶に留めておく一枚の報道写真」

あまたの写真が世界各地で撮影され、平和な日本にいる私の感情を揺らす。風景写真、グルメ写真、そして戦争写真。どれもがファインダーを覗いた先にあるその瞬間を一生懸命に捉えようとした撮影者の意思や意図が伝わってくるものだ。ただ、私はそのような意図を、この写真を見た刹那読み取ることは無かった。不適切な表現かもしれないが、美しさの衝撃がファインダーの先にあるはずの悲劇や絶望を掻き消し、ただただこの世界の魅力を伝えているように感じてしまった。美しいはずのない惨状を伝える一枚を、見慣れた朝日や夕日と認識した私の感覚に世界の現状と自身の境遇との乖離を覚えざるをえない。おそらく、何気ない事一つでも文脈が違う私と彼の地の人とでは意味が大きく異なる。平和な国の住人において、太陽は朝日であろうと夕日であろうと今日や明日への希望の象徴である。それが流血の繰り返される地では、爆撃という悲劇の一瞬現れる皮肉を忘れてはならない。


青山学院大学 川内佑馬 テロリズムセクション

■テロリズムセクション 部門賞 

[講評] 野末俊比古(青山学院大学教育人間科学部教授)
タイトルから想像される夜明けの、あるいは夕暮れの美しい風景が、じつは轟音を伴った閃光から人々が身を潜める街並みであることに気づいたとき、テロリズムの恐ろしさが立ち上がってきます。この写真を選び、このタイトルを付けるという訴え方が秀逸です。写真から受けた自身の心情を素直に綴った文章も読ませるものになっています。