【8月28日 AFP】一流シェフによる料理と聞いて、マッシュポテトを最初に思い浮かべる人はいないだろう。6日に亡くなったフランス料理の巨匠ジョエル・ロブション(Joel Robuchon)氏が作るマッシュポテトは完璧だった。そのようにシンプルな料理を完璧に作れるという事実は、ある意味で彼の人柄を表していた。地に足がついていて、親しみやすく、芸術家で、自分の才能に愛情を注いでいた人。ローストチキンの描写だけで人々の食欲をそそる才能がある人だった。

 私はAFPで3年間、食の担当をしていた。有名シェフが亡くなった時はいつも、真っ先にロブション氏に電話した。ロブション氏は有名シェフ全員を知っていたし、シェフたちもロブション氏を知っていた。常に、非常に洞察力に優れたコメントをしてくれた。

中国・上海の「ラトリエ・ド・ジョエル・ロブション」(2018年8月撮影)。(c)AFP / Johannes Eisele

 当時、それほど頻繁に会っていたわけではないが、私はロブション氏の携帯電話の番号を知っていた。あちこちの記事に、彼のちょっとしたコメントが必要な時はためらわずに連絡した。

 戦後のフランス料理の巨匠の一人、シャルル・バリエ(Charles Barrier)氏は、ロブション氏が師と仰ぐシェフで、2009年に亡くなった。その時のロブション氏の話に私は言葉を失った。

「バリエ氏は、私がこれまで食べた中で最高のローストチキンを作った」とロブション氏は回想。「シンプルなローストチキンだった。奇妙に思えるかもしれない。彼は巨大なロティサリーグリルにまず自家製のパンを入れ、パンの表面が黄金色に変わったら、チキンを脇に入れた。チキンがふっくらとして、表面がパリッとして……皮がパンのうまみを吸収する。傑作だった」

 心がこもったあまりにも正確な描写で、電話を切った後、食欲がそそられた私はその場に座ったままうっとりしてしまった。ロブション氏は「世紀のシェフ」4人のうちの一人に選ばれ、ミシュランガイドで史上最多の32個の星を獲得したこともある。ロブション氏は、自分に「すべてを教えてくれた」シェフが作るシンプルな料理を、私がうっとりしてしまうぐらい細部まで心に留めていたのだ。

シンガポールの「ラトリエ・ド・ジョエル・ロブション」でメディアに対応するジョエル・ロブション氏(2011年4月撮影)。(c)AFP / Simin Wang

 細部に気を使うからこそ、シンプルな料理であるマッシュポテトで有名になったのだろう。シェフの誰もが、最も著名なシェフですら、その人と関連付けられる一皿という名誉を与えられるわけではない。ロブション氏のマッシュポテトのレシピの詳細は、多くのレストランのキッチンで激しく議論されてきた。この問題に意見を持っていないシェフはいなかった。本当にそんなに大量のバターが必要なのか? 本当にロブション氏が説明したような段取りをすべて踏まなければいけないのか? まずはジャガイモをつぶす。そしてバターを加える。バターは室温ではなく、冷えていなくてはならない。マッシュポテトをかき混ぜ続けるには大変な労力を要する。要約すると、マッシュポテトは愛情と忍耐の結晶。芸術だ。

シンガポールで行われたミシュランガイドの授賞式で、ミシュランのマスコットとポーズを取るジョエル・ロブション氏(2016年7月撮影)。(c)AFP / Roslan Rahman

 シェフ仲間から「ロブシェ」と呼ばれていたロブション氏は1996年51歳の時、誰もがうらやむ三つ星レストランを閉店した。絶えずストレスを感じており、心臓発作で死にたくないため引退する、というのがその理由だった。その後、テレビに少し出て、本を何冊も(ジャガイモだけの本も1冊あった)執筆した。それから、コンセプトレストラン「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」をオープンし、復活した。パリを皮切りに、東京、ロンドン、ラスベガス、ニューヨーク、シンガポールに店を出した。

 ラトリエは、すし店のカウンターとタパスバーから着想を得ていた。ロブション氏はシェフが調理する様子を客が見ることができる、これまでよりもリラックスして親しみやすい店をつくりたかったのだ。この上なくシンプルでラグジュアリーな空間だ。

東京の「ラトリエ・ド・ジョエル・ロブション」(2018年8月撮影)。(c)AFP / Martin Bureau

 他の偉大なシェフと同じように、彼の完璧さの基準を満たさないものを作った人には激怒した。だが、発表の場やオープニング、祝いの席では常に落ち着いていて、親しみやすく、自信のこもった落ち着いた声で話した。

 ラトリエの新たな店舗がオープンするたびに、その1か月前から少数の信頼するチームのメンバーと現地に入り、スタッフのトレーニングをし、重要な日に備えた。

 2010年のオープン直後、パリのラトリエを訪れたことがある。キッチンは活気にあふれ、楽しそうで、時間配分と味付けは悪魔的に正確だった。ロブション氏自身は定番の黒の中国風服を身に着け、ほほ笑んでいた。ハードワークとチームスピリットにあふれた雰囲気を大いに楽しんでいたように見えた。

このコラムはAFPパリ本社の写真編集部副部長のジャーセンド・ランブール(Gersende Rambourg)が執筆し、2018年8月13日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

フランス・パリの「ラトリエ・ド・ジョエル・ロブション」で客と話すジョエル・ロブション氏(2012年11月撮影)。(c)AFP PHOTO / Miguel MEDINA