【AFP記者コラム】ツール・ド・フランス、情熱に生きる沿道サポーター
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【8月9日 AFP】伝説の自転車レース、ツール・ド・フランス(2017 Tour de France)に密着取材した3週間、「ツールは初めて?」と何度も聞かれた。「ツールっていうのは、中に入って楽しまなくちゃ分からないよ」
おっしゃる通り。ツール・ド・フランスは、世界最高峰の肉体的挑戦なだけではなく、巨大なパーティーだった。

伝説のレースをテレビで見たことは何度もあったが、その別の側面をまったく分かっていなかった。ファンの側、つまりフランス全土の村で待っているファンたちに、このレースがいかに深く浸透しているかだ。
私はフランス南部トゥールーズ(Toulouse)を拠点に、AFPのスポーツ記者をしている。体調を崩した同僚の代わりに今年、ツールに駆り出されたのは、第3ステージのロンウィー(Longwy)からだったが、すぐさま白熱したファンの中に放り込まれた。

道路はすべて通行止めだったから、駅からはとにかく人がごった返した大通りを歩くしかなかった。目指すはフィニッシュライン。まもなく選手たちがゴールしてくるはずだった。レース全体の重要な一部である毎日のゴールを祝う初めての体験だった。
何万人という人たちにとってツールは、年に一度、自分が住む村や地方を通るルート沿いに世界級のスペクタクルがやって来るイベントだ。家族や友人とピクニックシートを広げ、バーべーキューをしながら、日がな一日大騒ぎする。彼らの親もその親もそうしていた。
国中のフランス人の多くが幼い頃から一緒に育ってきたもの、と言ってもいいだろう。自転車競技のファンでなくても、ツールは、見る。そしてツールのおかげで彼らの村に何年かに一度、スポットライトが当たる。「ツールよ、永遠なれ」。そんな文句が書かれた旗が、通常約3500キロに及ぶルート上の家に、沿道の干し草に、道路標識に、掲げられる。


丸一日の取材の初日、ツールのスピリットは全開だった。AFPでは車両2台、6人の記者でツールを取材していた。フランス語記者が2人、英語記者が1人、スペイン語記者が1人、ドライバーが2人。これだけの編成でなければ我々の仕事は不可能だったろう。
第1車両は出発地点の町を出ると真っすぐにその日の終点の町へ向かう。第2車両はコース沿いにプロトン(トップ集団)のすぐ前を走りながら、フィニッシュラインの会見場にいるレポーターにあらゆる進展を伝える。私は第2車両に乗り込んだ。
取材車に乗ってツールの各ステージを走っていると、もうすぐやって来る選手たちの到着をアナウンスするチームの一員だという実感が湧く。それぞれの村、ロータリー、道のカーブを通るたびに観衆から心のこもった歓迎を浴びる。思わず、エリザベス女王(Queen Elizabeth II)式に手を振り返してしまう。

山中のルートで車のスピードを落とすと、ウインドー越しにファンたちが文字通り張りついて、何かニュースはないかと聞いてくる。「やあ、AFP!うまくいってる?暑すぎないか?」と叫ぶ声。そう言う彼らこそ、照りつける太陽の下で何時間も座って選手たちを待ってるじゃないか。
こうした歓迎はいつだって最高、というわけじゃない。車の中に座ったままビールを浴びせかけられることもある。並んだ男性の尻を見せつけられることもある。車の窓を開けたり閉めたりだ。

私たち取材車のさらに前を走るキャラバン隊が観衆の熱狂をあおる。高々と鳴り響く音楽。美しい女性たちが宣伝用のキーホルダーや帽子や菓子といった景品を放ち、観衆が興奮状態で群がる。


ツールはカーニバルでもある。超人ハルク、司祭、スーパーヒーロー、ありとあらゆるキャラクターに出会う。サイクリングマシンのペダルを踏みながらエレキギターでハードロックをかき鳴らす男性、男性用ビキニをはいたご機嫌の酔っ払いたち。


こうしたお祭り騒ぎを目にすると、自分が自転車で山道を駆け上がらなければいけない選手ではなくて良かったと思えてくる。

ツールの選手にはさまざまなレジェンドがいるが、観衆にもたくさんのレジェンドがいる。私も何人か会った。三つまたを持った「悪魔おじさん(El Diablo)」、漫画「ジョジョ・サーカス(JoJo's Circus)」のピエロ、「雄鶏や牛」、スポーツ界におけるドーピング問題に抗議するためにヘルメットに注射器をテープで巻き付けた男性、ほとんど全てのステージを追っている「天使のリカルド(Ricardo the Angel)」……来る年も、来る年もだ。


世界級とはいえ、一つのスポーツ大会のために人々が仮装し、夏の何週間か大会を追い続けるということに私は好奇心を持った。ある日、アルプス(Alps)の路上で「天使のリカルド」にこのことについて聞いてみた。その時、彼はまだ「平服」のままで、選手を迎えるための羽と天使の輪は着けていなかった。
「最初のツールは3歳の時で、まだベビーカーの中にいた」と笑うリカルド。「生まれたときから一緒だって言っていいよ」

彼が天使のキャラクターを生み出したのは1998年。大会中から大会後にかけてドーピング・スキャンダルが吹き荒れた「フェスティナ(Festina)事件」の年だった。天使のキャラクターにした理由はツールに何か穏やかな雰囲気をもたらしたかったのと、もう一つ、「悪魔おじさん」のライバルになりたかったからだ。「悪魔おじさん」はその頃すでに活躍していたが、以来、二人は友達だ。今年でリカルドのツール「参戦」は44回目。毎年、このレースを見るためにに約3000ユーロ(約40万円)を費やしている。
「僕はこのために生きてるんだ」とリカルドは私に言った。「完全に、全くの逃避なんだ」。ツールを内側から取材して、私には今、彼の言っている意味が正確に理解できる。
このコラムは、仏トゥールーズを拠点とするマテュー・ゴース(Mathieu Gorse)記者が執筆し、2017年7月24日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

