【4月21日 AFPBB News】 1935年以来、水産物と青果物を扱い「日本の台所」を担ってきた東京・築地市場(The Tsukiji Market)。水産部は1日の取扱量約1600トン、取扱金額16億4200万円を誇る世界有数の市場だ。豊洲への移転か築地の改修か、いまだ混迷を深めているが、最上の魚を求める人々の喧騒(けんそう)と活気は日々変わらない。仲卸大手「やまふ水産(Yamafu Fisheries)」の財布を預かって2年の若女将(おかみ)、淵上優美子(Yumiko Fuchigami)さん(41)は「日々勉強」と自らに言い聞かせ、今日も帳場から市場を見つめている。

東京都の築地市場、仲卸「やまふ水産」で帳場を担当する淵上優美子さん(2017年4月1日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi


■市場の喧騒の中で磨く集中力

 3人の子どもたちがまだ布団の中で寝返りを打っている頃、優美子さんは5時台の始発で築地にやってくる。未明から働く他の従業員に遅れまいと、店の奥まった一角にある帳場にさっと身をかがめて入る。釣り銭と伝票をセット、指サックをはめたら、即臨戦態勢。すでに常連客たちでにぎわい、売り子が待ちきれないとばかりに優美子さんを愛称の「ルーさん」と大声で呼び注文を通す。

 得意先名、品物、数量、単価──よどみない注文を、優美子さんは「はい、はい」と相づちを返しながら伝票に書き込んでいく。目と耳を研ぎ澄まし全身に集中力をみなぎらせ、売り子の声をひとつも聞き漏らすまいと緊張が連続する時間は、10時過ぎまで途切れることがない。

 創業57年の「やまふ水産」は、マグロ、タイ、ヒラメ、フグ、貝類など豊富な品目を扱い、優美子さんの義父、淵上洋水(Hiromi Fuchigami)さん(67)が社長を務める。店舗では、夫の淳二(Junji)さん(41)が活魚全般を、義兄がマグロを担当し、ベテランの目利きたちとともに客の問いかけにきさくに応じながら次々と魚をさばく。

 学校が長期の休みに入ると、優美子さんの3人の子どもや、従業員の家族も売り子として加勢にくる。魚の目方を計り新聞紙にくるんで客に渡す動作は手慣れており、帳場に通す声も堂々としている。10歳から80歳代までが心をあわせて店を盛り上げている様子は、場内にある仲卸547店の中で最も活気ある店の一つと言われるゆえんだ。

東京都の築地市場で早朝から得意客でにぎわう仲卸「やまふ水産」(2017年4月4日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi


■親を見て子は育つ

「最近やっと名前が一致した魚があった。まだまだ知らないことが多いが、だいぶ気持ちの余裕がでてきたかな」と優美子さん。東京下町で育ったが、築地市場のことはよく知らなかった。とにかく覚えることが多い。人の名前、魚の名前、魚河岸特有の専門用語、店ごとに異なる数字を表す隠語。壁に貼りだしたり、カードに書いて通勤中に暗唱したり、クイズ形式で子どもに問題をだしてもらったり、無我夢中で覚えた。

 さらに冬は極寒、夏は灼熱(しゃくねつ)の「帳箱」と呼ばれる畳一畳分もない木箱の中での作業。いつかは家業を助けるつもりではいたものの「想像以上に過酷だった」と2年前を振り返る。疲労困憊(こんぱい)して帰宅し、子どもたちの話を聞く体力も気力もないと感じるときは何よりつらかった。

 それでも続けられるのは、親の働く姿を間近で見て子どもたちも変わったからだ。長男、颯(Hayate)君(15)は「(両親の)普段見せない姿がかっこいい」とほめてくれる。居間のソファでうたたねをする優美子さんを気遣ったり、夕食の後片付けをしてくれたり、日ごろの生活の中で3人で力を合わせる機会が増えた。朝起きた時には、すでに両親はいない。自分たちで支度をして登校する。「鬼のように起こしてくれる人がいなくなって起きづらくなったけど」と次男の滉玄(Hiroharu)君(12)は横目で優美子さんを見ながら笑う。

東京都の築地市場、仲卸「やまふ水産」の脇を行き交うターレット(2017年4月4日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi


■「待たせないこと」河岸の流儀を守る

 あいさつ以外に一言二言声をかけてくれるお客さんにも励まされてきた。「今日は笑ってるから大丈夫だね」という一言に「ああ、見ててくれてるんだな」と胸が熱くなる。「お客さんが優しい」のは、優美子さんの働きぶりに対する評価だろう。一刻も早く仕入れた魚を持ち帰り手を加えたい客たちは、基本的に気が短い。正確、迅速な決済は、魚の目利き同様、仲卸稼業の両輪だ。支払いにくる常連客のビニールポーチに「やまふ」という屋号ではなく「ルーさん」と書かれていることからも、優美子さんに寄せる信頼がうかがえる。

「河岸の流儀は待たせないこと。ルーちゃんもだいぶ早くなったけど、まだまだこれから」と帳場経験34年のベテラン、四十八願幸子(Sachiko Yoinara)さんは、同店の帳場担当者のなかで最年少の優美子さんに檄(げき)を飛ばす。四十八願さんが、ピーク時にお客の声を聞き分け何十枚と伝票を起こす技は、とてもコンピューターでは及ばない。人の顏と名前をすぐに覚えられるのも、お客さんに気持ち良く買い物をしてもらうために書き記した顧客情報ノートのたまもの。

 売り子との息のあった注文のやりとりは、リズムが大切。「ルーちゃんは帳場のリーダーとしてみんなのお手本になってほしい」。子育てとの両立の難しさに理解を示している社長も「苦しい中にも楽しみがあるのが仕事。世界で一番のマーケットだから誇りを持って続けてほしい」と期待をにじませる。

東京都の築地市場、仲卸「やまふ水産」で帳場を担当する淵上優美子さんにおくられた娘からの手紙(2017年4月1日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi


■それぞれの成長を胸に将来へ

 この春、夫妻を驚かすことがあった。高校に進学する颯君が「いずれはお父さんや叔父さんのように、兄弟でやっていきたい、築地で将来働きたい」と言ったことだ。横で聞いていた若い従業員は「社長が若い人を誘うから、ここには跡継ぎいっぱいいる」とちゃかす中、「何をするにしても一人じゃ何もできない、みんながあって自分があることを知って」と父、淳二さんは冷静に息子に語りかける。そして、帳場で優美子さんの隣に座っていた末っ子、澄香(Ryoka)ちゃん(10)からの手紙には感謝がつづられていた。「ままへ、いつもごはんをつくってくれてありがとう。いつもいつもめんどうみてくれてありがとう」

 家族を支えているつもりが、いつの間にか支えられていた。魚河岸に嫁がなかったら知らなかった世界だが、今では「自ら進んでこの仕事を選ぶかもしれない」と思うほどだ。「平常心、平常心」と焦る自分に言い聞かせながら働いているが、毎日人と接するのが楽しいし、何より市場の活気から元気をもらっていると感じる。この先、築地がどこへ向かうのかはわからない。それでもお客さんがいて、仲間がいる限り、「やまふ」を支えていく覚悟はできている。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi

東京都の築地市場、仲卸「やまふ水産」で帳場を担当する淵上優美子さん(2017年4月1日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi