【6月11日 AFP】チリは大地震に見舞われて大きな被害を受けたにもかかわらず、1962年のサッカーW杯の開催国を務めた。そして、ブラジルは相変わらず無類の強さを誇った。

 この大会では乱暴なプレーが目立ち、ブラジルの大会2試合目で戦線離脱を強いられたペレ(Pele)が最大の被害者となった。

 欧州のチームはイタリア・セリエAのインテル(Inter Milan)が当時用いていた守備的戦術「カテナチオ」を模倣したが、その結果、各試合は粗暴な展開に終わった。

「サンティアゴの乱闘」と知られるイタリアとチリの試合は、地元のチリが2-0で勝利したものの、イタリアが退場者を2人出した上に、選手たちは殴る蹴るの暴行を加えたため、事態を鎮めるために警察が出動した。

 ブラジルのガリンシャ(Garrincha)は、イングランドを手玉にとった準々決勝、チリに4-2で勝利した準決勝でそれぞれ2得点を挙げる活躍をみせたが、チリとの試合で退場処分を受けた。

 ブラジルは決勝で、GKヴィリアム・シュロイフ(Viliam Schrojf)の活躍で大会を勝ち上がったチェコスロバキアと対戦した。

 皮肉にも、ブラジルが3-1で勝利する要因となったのはシュロイフの大失態だった。ブラジルはババ(Vava)が2大会連続で決勝戦での得点を記録すると、ジト(Jose Ely de Miranda 'Zito')とアマリウド(Amarildo Tavares da Silveira)も得点を挙げた。(c)AFP